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全財産1200円まで落ちぶれた実業家の軌跡――京町家の分散型ホテルビジネスを成功に導いた原動力とは?電気もガスも止められて(3/5 ページ)

» 2019年06月20日 06時00分 公開
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人との出会いが人生を変えた東京時代

―― その後、1200円しかなかったのに、どうやって会社を続けていったのですか?

山田 結果から言うと、投資家に出資してもらえるようになりました。とある上場企業の社長の方がたまたまFacebookで「今日の弁当何にしようかな」と投稿をしたことがありまして、それを見た瞬間に僕が「2秒で行きます!」と連絡をしたんです。そのあと、芦野に急いで行かせて、無事僕らの弁当を買ってもらえました。

山田 ただ、それだけで終わらずに、弁当を届け終わった後、芦野がエレベーターで1Fに降りているときにふと「憧れていた社長にお弁当を注文してもらったのに何もアピールできていない」と思ったみたいで、再度、エレベーターで上に戻り、勝手にオフィスに入り、仕事中の社員さん一人一人のデスクに出向いて「渋弁です! 割引券ついているのでよかったらお願いします!」って回ったみたいで。それを見ていたその会社の社長の方から「芦野、もともと何かやってたの? 営業すごいな!」とメッセージをもらい、そこからさまざまな方とご縁を頂き、VC(ベンチャー・キャピタル)とお話をさせて頂く中で出資を頂き生き延びました。

―― お二人の行動力が投資家の目を引いたということでしょうか?

山田 今思うと、そうかもしれないですね。決して頭は良くない二人ですが、死ぬ気でやるという点は、負けないと自負しており、投資家からも「本当にお前らしぶといよな。根性だけはあるよな」と言っていただいています。

―― では、そこからどのようにして宿泊ビジネスを始めるようになったのですか?

山田 投資家の方から出資してもらえるようになってから、僕と芦野でいくつか事業を作ってはつぶして、また作るということを繰り返していました。その中でメディアや動画含め、ITにも手を出したのですが、結局ITだけで勝負するよりもITを絡めたリアルビジネスが向いているだろうという結論になり、民泊事業に目を付けたのが宿泊ビジネスに携わるようになったきっかけです。

 試しに新宿で民泊運営を1軒だけやってみたら思いのほかうまくいきまして、結果的に新宿で半年の間に50軒くらい一気に宿を増やして事業化を進めました。

 ただ、民泊をさせてくれる物件を探すのが大変で、不動産屋を合計2000件くらい回ったり、寝ないで家具をずっと組み立てるなど、途方もない苦労もありました。

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