しかし、1952年の新聞には「タビオカの輸出に希望」の記事が紹介されていました。当時、沖縄は日本ではなかったので、東京にいる琉球政府の代表から、沖縄に届いた報告でした。日本では、国が砂糖の輸入を自由にしたので、水飴などに使っていたデンプンは価格が下がり、使い道が変わってきていたようです。
ここに目を付けた代表が「気候的特性に限られたものに着目すれば特に琉球からの輸入品は無税であるので品質さえ良ければタピオカの輸出は有望性が強い」と展望を示しました。
しかし、この後のタピオカは、八重山地方の開拓や沖縄からの移民が進むボリビアでも栽培が進んでいるという記事が数本あるだけ。タピオカが再び沖縄で盛り上がってくるのは、あの記事から12年後の1964年のことです。
この年、沖縄は、タピオカの輸出にかかる税金を免除してもらうため、政府と交渉を始めました。沖縄に「国際澱粉興業KK」という会社ができたからです。
デンプンは、化学調味料やビール、ソーセージ、かまぼこ、アイスクリーム、栄養剤、接着剤など幅広く使われていて、需要が急激に伸びたため、不足していました。そこに目を付けた会社は、タイから苗木を購入して、沖縄の農家に分けて栽培してもらう計画を立てました。
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