そうした状況を踏まえてカローラは誕生する。だからカローラは最初からミニマルなクルマではなく、庶民の夢のクルマとして誕生したのである。デビュー時のライバル、日産サニーに対して「プラス100ccのゆとり」を掲げ、サニーの1000ccに対して1100ccユニットを搭載したあたりからも、そのコンセプトは伺える。価格は43万2000円。
少々言葉は悪いが、「中の上」こそがカローラだった。以来、日本人が豊かになるにつれて、モデルチェンジのたびに着実に高級方向にシフトしていったカローラは、バブル期に開発された7代目(100系)でその頂点を迎える。そこが「前モデルより高級」で進める行き止まりだった。
8代目以降、カローラはそれ以降のカローラの価値を形作る新たな道を開拓する以外なくなったのだが、トヨタの大看板車種であり、期待が大きい分、船頭も増える。開発責任者といえども、自分の好きなように作れるクルマではない。スター車種であるがゆえに、大胆な変更ができずカローラは茹(ゆ)でガエルになっていく。
最量販車種の座をプリウスに奪われ、ファミリーカーの本流の座はノア/ヴォクシーに奪われた。気がつくとカローラは「年寄り向けの地味なクルマ」でしかなくなっていた。
53年目のカローラ、「原点に立ち返り、日本の期待に応える」
あなたはカローラの劇的な変貌を信じるか?
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