クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

SUVが売れる理由、セダンが売れない理由池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)

» 2019年10月01日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

 かくなる上は、ドア下の敷居にストレート鋼材を通して、せめてそれでボディ剛性を確保したいのだが、ここに補強材を通そうとすると、スライドドアの下側のレールと干渉するのでまっすぐに通せない。スライドドアは、レールの太さをケチると耐久性がガタ落ちして、使っているうちにドアが落っこちる。そんなことは許されないので、ドアレールの位置と太さは譲れないのだ。

 かくして恐ろしいことに、ミニバンのユーティリティを確保するための全てのしわ寄せはクルマの基本骨格であるシャシーに集中する。だから大型ミニバンのアルファード/ヴェルファイアですら、二列目のシートがワナワナと震える。高速走行はしないにしても、宿命的に乗り味の良いものには仕上がらない。

 スライドドアにはもう一つ問題がある。デザインをスポイルするのだ。商用車のように、ボディ側面が真っ平らなら問題はないのだが、ドアが横にスライドしていくためには、ボディに抑揚があるのは困る。ボディがドアに擦れてしまう。上下のレールはまっすぐでなければ困るので、ルーフラインもいじりにくい。商品を個性的に仕立て、他社モデルと差別化を図るために、ミニバンのデザインの面での個性はフロントフェイスに集中し、派手な顔つきになっていくのだ。

 床下が使えないのでハイブリッドシステムやバッテリーなどの収納場所にも困る。それらの問題のかなりの部分がスライドドアになんらか関係をしている。

 ということで、セダンより広い室内空間を持ちながら、デザイン的にスタイリッシュで、走行性能面でも優れたものを作ろうと思うと、自然とSUVが浮上する。これが作る側の理由だ。

ステータスというしがらみ

 反対に買う側から見ると、また違う構図がある。セダンはどうしても「クルマがステータス」であった時代を引きずっている。カローラよりコロナ、コロナよりクラウンという序列のイメージは今でも消え難く残っているのだ。

 しかしSUVにはそういうものがない。例えば同じトヨタで比べてみよう。C-HR、RAV4、ハリアーと並べてみて、やはりセダンとは序列構造が違う。C-HRのオーナーがもっとお金を持っていても、ハリアーを選ぶとは限らない。SUVには序列感が希薄なのだ。財力や社会的立場がクルマの選択に入り込み難い。古臭い世間体から解放された自由がある。

 なぜそんなことが起きるのか、それはそれぞれのSUVはコンセプトが少しずつ違うからだ。例えばスバルのフォレスターのようにアウトドア色を強めに打ち出しつつ、後席やラゲッジスペースを重視したセダンの系譜のものもあれば、トヨタC-HRのようにリヤシートを重視しないスペシャリティクーペの系譜もある。マツダのCX-8は3列シートミニバンのSUV的解釈だ。ユーザーは自分のスタイルに合うものを選んでいく。だから一直線上の序列に並ばない。

3列シートミニバンをSUV的に解釈したマツダのCX-8

 さて、そうなるとマイナーになっていったセダンはこれからどうなるか? 十分な時間が経過すると、SUV的な解放はやがて他の車種にも広がるのではないだろうか。序列的価値観はある意味社会の因習でしかない。そういうものは因習を再生産する流れがなくなれば消えていくだろう。

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