京都が日本人客から訪日客に“奪われる”!? インバウンドに潜む「オーバーツーリズム」問題京都在住の社会学者が斬る(1/4 ページ)

» 2019年11月01日 06時00分 公開
[中井治郎ITmedia]

編集部からのお知らせ:

本記事は、書籍『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(著・中井治郎 、星海社新書)の中から一部抜粋し、転載したものです。京都在住の社会学者による、観光客の殺到による社会・経済問題「オーバーツーリズム」の提起をお読みください。


「ノーモア・ツーリズム(もう観光はごめんだ)」を叫ぶ反観光運動の最前線、バルセロナ。その運動をめぐって1つの言葉が誕生した。「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」である。「フォビア(phobia)」は恐怖症と訳されることが多いが、この場合、実際に使われているニュアンスとしては嫌悪や忌避に近いものである。

 つまりツーリズモフォビアとは、オーバーツーリズムに悩まされた人々が抱く、自分の街が観光化されること、そして観光客への憎しみにも似た嫌悪の感情の高まりを表すために生み出された言葉である。殺伐とした言葉にも聞こえるが、そこまで追い詰められてしまった地域住民の悲鳴であるともいえる。

photo インバウンド需要が集中する京都。しかし多すぎる観光客への悩みも(提供:ゲッティイメージズ)

 しかし、このツーリズモフォビアは、未曾有の外国人観光客を迎え入れる日本、そしてオーバーツーリズム問題に悩まされる京都においても他人事ではない。この章では、ついに「観光される側」となった我々がいかにして「観光客ぎらい」になりつつあるのかを見てみよう。

観光でもうかるのは「よそもの」?

 とくに日本では地方経済の「救世主」として促進されてきた外国人観光客の受け入れ。しかし観光産業の実態は「地元にお金が落ちにくい」産業であるといわれているのだ。

 京都でも「外資」によるホテルやゲストハウスのオープン、そして民泊の営業などが相次いでいることは先に述べたが、大規模なリゾートやホテルの開発などに限らず、宿泊施設、飲食店、旅行会社によるツアーの催行など、そもそも「外から人を連れてくる」という観光産業は宿命的にさまざまな局面において外部の資本の介入がつきものなのだ。つまり、「観光でもうかるのは地元でなく外部の資本」ということなのである。

 観光産業は、途上国や過疎地など比較的に大きな資本を準備できない地域でも取り組むことができる。そのため日本でも農山村などの「村おこし」として採用されることが多いが、その経済効果というのは限定的であり、大規模な開発においては「おいしいところはみんな、よその人間にもっていかれる」という悲しい事態が頻繁に起こってしまうことも事実である。

 とくに近年はクルーズ船をチャーターしてのツアーや、系列の宿泊施設や飲食店などを利用させるツアーなど、外部の資本が包括的に観光客を丸抱えするビジネスモデルが台頭している。このように実際に観光客を受け入れる地元にはほとんどお金が落ちなくなってしまう観光ビジネスモデルの蔓延(まんえん)は、今後も大きな問題となっていくだろう。

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