“中国最強のIT企業”アリババの原点 トップから社員まで「人気キャラの名前」で呼び合う謎文化T-Mallやアリペイを生んだ(2/4 ページ)

» 2019年11月25日 06時00分 公開
[由曦ITmedia]

ジャック・マーが「消費者向けサイト」に舵を切った訳

 当時、B2B(企業間取引)事業を中心としていたアリババは、中国のインターネット業界でまだトップではなかった。イーベイが中国に参入するという情報はジャック・マーの神経を刺激し、彼はC2C(消費者間取引)サイトの制作について考え始めた。これが現在その名を天下に轟かせるタオバオだ。

photo アリババグループの創業者、ジャック・マー(馬雲)氏。9月に会長職を引退した(提供:ロイター)

 ジャック・マーがタオバオをやろうと思った理由について、アリババの元幹部ポーター・エリスマンはこのように回想する。当時ジャック・マーは、イーベイが中国でビジネスを大々的に展開するなら、小売業から始め、それからアリババと競合するB2B事業に参入するだろうと考えた。競争が避けられない状況のもと、アリババがイーベイを小売業界にくぎ付けにしておこうと思うのならば、彼らにできる唯一のことは自らもC2Cサイトを開き、直接戦うことだった。

 2003年4月7日、ジャック・マーは、当時のアリババのB2Bの業務ラインのなかから十数名のスタッフを選び出し、彼らに、すぐに秘密保持契約にサインをし、会社を辞めて最短期間のうちにC2Cの商品取引サイトをつくるよう命じた。その後、彼らはこの記事の冒頭で倪行軍の目の前に現れたこの棟の2階へ連れて行かれた。

 2015年12月のある日、私は杭州市の湖畔花園のある地区を訪れた。1990年代末に建てられたこの住宅区は、現在も静かで清潔で整然としていた。地区の中心の広場では2人の住人がのんびりと散歩をしていた。北へ行くと余杭塘河(よこうとうが)が西から東へとゆったりと流れ、水面には時折鳥が飛んできていた。今日目の前に見えているゆったりした風景から、当時のタオバオの創業に思いをつなげるのは難しいだろう。

 2003年、若者たちはここで熱心に仕事をしていた。財務や管理のスタッフは11階、技術スタッフは2階で。オフィスに使われたこの2階建ての住宅は大変混み合っていたが、空間を最大限利用し、台所さえも使っていた。

 この若者たちの責任者は「財神(ざいじん)」という花名をもつ孫●(「丹」に「彡」)宇(スン・トンユー)だった。

 いつもタバコをくわえてうろうろしているこの若者は、ジャック・マーの強力な右腕だった。1996年春、彼は中国イエローページ(ジャック・マーが95年に創業した企業サイトの作成会社)に入社し、1998年、ジャック・マーとともに北京へ行き起業した。

 しかし成功を収めることはできず、1999年初頭、杭州に戻って再び起業した。彼は「アリババ十八羅漢」のうちの1人で、タオバオ創業当初、大きな貢献をした。彼にはもう1つ周知の立場がある。それは現在アント・フィナンシャルの社長である彭蕾(ポン・レイ)の夫であるということだ。

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