“中国最強のIT企業”アリババの原点 トップから社員まで「人気キャラの名前」で呼び合う謎文化T-Mallやアリペイを生んだ(3/4 ページ)

» 2019年11月25日 06時00分 公開
[由曦ITmedia]

入社時には「自分のニックネーム選び」

 タオバオの起業チームのメンバーには、ジャック・マーと孫●(「丹」に「彡」)宇のほかに、周嵐(ジョウラン)、虚竹(シュージュー)、三豊(サンフォン)、多隆(ドゥオロン)、二当家(アルダンジア)、小宝(シャオバオ)、阿珂(アーカー)、楊過(ヤングオ)などがいた(いずれも花名)。

photo 『アント・フィナンシャルの成功法則: アリペイを生み出した巨大ユニコーン企業』(訳・永井麻生子、中信出版日本)。著者の由曦 (ユウ・シ)氏はエコノミスト。『毎日経済新聞』『第一財形日報』などの中国の著名経済誌で勤務経験を持つ。中国内外の企業トップへの取材を重ね、2013年からは特にフィンテック業界を中心に活動している。

 そのなかの師●(「日」の下に「立」)峰(シーユーフォン)(花名=虚竹。当時のタオバオ技術チーム責任者、現在のアリババ管理部)、姜鵬(ジアンポン)(花名=三豊。当時のタオバオ開発チーム責任者、現在アリババ名誉顧問)、蔡景現(ツァイジンシエン)(花名=多隆)の三人は開発エンジニア、二当家はUED(ユーザー体験設計)エンジニア、小宝、阿珂、楊過はオペレーションエンジニアだった。

 その日、倪行軍を面接していたのは、技術開発の責任者である三豊だった。

 倪行軍は、浙江財経学院の会計学科を卒業した。彼が大学で勉強していたのは、ちょうど世紀が変わる頃で、中国におけるインターネットの発展はすさまじかった。彼は大学時代に独学でコンピュータ関連の知識を得ており、卒業論文のテーマは『情報化の環境下における会計情報の虚偽の問題』だった。面白いことに、「情報」と「会計」の結合は、彼が以後アリペイで行う仕事のメインラインとなる。

 倪行軍は、タオバオの面接試験を受ける前、起業した経験があったが、その後、杭州市の医薬系のある国営企業で働くようになった。国の医薬局が改編されてできたその企業は、官僚的な雰囲気が強く、彼が入社したときにはまだERP(企業資源計画)の仕事もできたが、そのプロジェクトが終わったあとは何もすることがなくなってしまった。

 国営企業の単調な仕事は彼を憂鬱にさせた。大学の同級生との集まりで、皆がいろいろと自分の経験を話しているときに、倪行軍はやっと自分の思いをぶちまける機会を得た。宴席が進むと、自分の悩みを打ち明け始めた。

 倪行軍は、酒をすするように飲んだあと、「もっとも怖いのは25〜26歳で老人のようになってしまうことだ」と言った。この言葉は友達に聞かせるというよりも自分に言い聞かせるためのものだった。彼の考えは大変シンプルだった。自分が身につけた技術は、インターネット企業でしか活かせない。再び仕事を探すなら、やはりインターネット企業に行かなければならないと考えた。

 倪行軍はすぐに転職先を探して履歴書を送り始めた。2003年、杭州市のインターネット企業はまだ数えるほどしかなかった。履歴書をアリババに送ると、すぐに冒頭の面接の一幕となった。タオバオではちょうど人手が必要だったため、技術と会計に通じた倪行軍はすぐに採用通知書を手にすることができた。

 2003年11月下旬のある日、倪行軍は正式にタオバオに加わった。入社当日、彼の指導係となる茅十八(マオ・シーバー)が、数枚の「金庸(きんよう)の武侠人物関係図」とタイトルの書かれた紙を持って、彼にその中から花名を選ばせた。 倪行軍は何度もそれを見て、残っている名前の中から『雪山飛孤』に登場する名侠客「苗人鳳」を選んだ。

 ここで、アリババの花名文化について紹介しておこう。

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