埋没気味だった「喜多方ラーメン坂内」が逆襲を開始 あっさり味が国内外で支持されそうな理由長浜淳之介のトレンドアンテナ(5/6 ページ)

» 2020年02月12日 15時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

喜多方ラーメンのうわさ話を聞いた

 麺食は、創業者の中原明会長が坂内食堂の味にほれ込んで始めた会社だが、全国展開への対応のため、スープのしょうゆ味を濃くしている。水質の良い喜多方とは事情が違うケースが多いからだ。麺は同じ、チャーシューもほぼ同じである。

 坂内食堂のラーメンスープは、塩味のスープにチャーシューの煮汁であるしょうゆダレを垂らした仕様になっている。そこは麺食でも同じなのだが、チャーシューの煮汁の分量を多くしているのだ。そのため、坂内食堂のラーメンは「塩」、麺食のラーメンは「しょうゆ」に分類されることが多い。

 坂内食堂に限らず、喜多方のラーメン店は「○○食堂」と名乗るケースが多い。それはもともと、町の食堂・町中華のメニューの1つとして、ラーメンがあった名残りである。今はラーメンばかり注文が入るため、専業に変わった店も多い。

 中原会長と喜多方ラーメンの出合いは、次のようなものだ。当時、中原会長は国鉄の子会社で、駅ナカの立ち食いそばなどの事業を展開するサンフーズの役員だった。そして、有楽町のガード下でラーメン店を立ち上げるプロジェクトを任されていた。そこで、日本中のラーメンを食べ歩いたがピンと来るものがなかった。ところが、たまたま大阪から東京へ帰ってくる飛行機の中で、乗客が喜多方ラーメンのうわさ話をしているのを耳にした。妙に気になったので、喜多方駅の駅長に電話をかけて事情を聞き、現地に飛んだ。

喜多方ラーメン坂内の店内

 そして、サンフーズの資本で87年にオープンしたのが「くら」だった。くらはヒットし、FCビジネスを展開する準備は整っていたが、当時は国鉄民営化のタイミングでサンフーズはそれどころではなかった。諦めきれず、中原会長が独立してつくった会社が麺食なのであった。だから、長野県東御市にオープンした坂内1号店はいきなりFC店となっている。

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