中国人頼みだった観光業界に激震 「インバウンド消費低迷」に追い打ちをかけた新型コロナ新型肺炎が教える中国ビジネスのリスク(4)(1/3 ページ)

» 2020年04月17日 17時10分 公開
[島崎晋ITmedia]

 新型コロナウイルスの感染拡大は私たち日本人の生活の常識を根底から覆している。

 今回の感染拡大はさまざまな問題を引き起こしているが、その1つに中国人観光客頼みだった日本の観光業への大打撃がある。さらに、中国人が休暇をとり移動をしやすい「春節」と今回の新型肺炎の時期が重なったといえばそれまでだが、商品購買額の大きい中国人観光客が来ないことは、小売業にも大きな影を落としている。終息の時期はいまだ見えず、現時点では、相当長引くことを想定せざるを得ないのが現実であろう。 

 歴史家の島崎晋氏は、最新刊『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ刊)で、新型肺炎拡大以前の根本的な問題、つまり中国の文化的・歴史的背景が、今でもビジネスなどへ影響を及ぼしている点にクローズアップ。ビジネスなどで中国となんらかの関わりを持つ人が事前に知っておくべき教養ともいえる。

 前回に続き新型肺炎がもたらすリスクについて取り上げる本連載では、日本の観光業などへの影響を踏まえて、日本が中国と付き合っていく方法について言及する。

photo 新型コロナウイルスは、中国人頼みだった観光業界を震撼させた(写真提供:ゲッティイメージズ)

「インバウンド消費低迷」に追い打ちをかけた新型肺炎

 訪日中国人による爆買いのピークは過ぎ、彼らの消費がモノからコトへと移り始めたとはいえ、宿泊や移動の交通手段は欠かせないので、そこから生まれる収益は少なくない。

 こうした状況は、観光目的の訪日が始まった1990年ころと比べると、隔世の感がある。当時の中国はまだ貧富の差が小さく、訪日中国人であってもさほど懐が豊かとはいえなかった。そのため訪れる場所といえば、入場無料の企業展示館や無料でマッサージ器を体験できる家電量販店ばかり。新幹線に乗るにしても、体験のためにわずか1区間を利用するだけ。初日と最後の日の食事は空港のうどん屋で済ますなど、徹頭徹尾ケチケチな行程であるのが普通だった。

 それが2008年の北京オリンピック開催直後から、爆買いツアーが世界中を席巻するようになったのだから、外国人用として別の貨幣を設けていた1980年代の中国を知る日本人であれば、驚きという言葉では表現しきれない感慨を覚えるのも無理はないだろう。

 90年代に日本人で満たされていた世界の有名観光地から日本人の姿が極めて稀(まれ)になったのとは対照的に、目に映るのは中国人か韓国人のどちらか。現地のお土産屋がかけてくる第一声も「こんにちは」ではなく、「ニイハオ」か「アンニョンハセヨ」に変わり、看板の文字も平仮名から漢字の簡体字かハングルに変化。両替所でも日の丸が消えて、アジアの国旗は中国とタイのものくらいになるなど、日本と中国の国際的な存在感はすっかり逆転してしまった。

 最近でも筆者がロンドンの現地ツアーを探していると、日本語のものがめっきり減り、郊外への日帰りものになると、毎日出るツアーは英語か中国語のものだけ。日本語ツアーは週2回しか出ていないありさまだ。リスボンからポルトガル中部のファティマなどを巡るツアーでは、100人ほど集まった人が言語別に分けられたが、日本人は自分1人だけ。中国人は単独でミニバス数台に分乗できたのに、日本人である自分は英語とスペイン語混載のバスに振り分けられるありさまだった。

 チェコの首都プラハでは、ナチュラル・コスメの人気店を訪れたところ、中国人で溢れ返っていた。これには呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすしかなかったが、そのとき店員の1人が近づいてきた。日本語もできる中国人店員で、「通りの向かいにもう一店舗あります。そちらは空いており、日本人の店員もおりますので……」と丁寧に教えてくれた。ここでも国際的な存在感の逆転を痛感せざるをえなかった。

 日本の観光業は中国への依存度が高いまま、ここ10年近く過ごしてきた。爆買いのピークが去り消費が頭打ちになった状況に、追い打ちをかけるように見舞われたのが今回の新型コロナウイルスの感染拡大なわけで、一日も速い終息を待つしかない。だが、終息後も観光業界に限らず、ビジネスなどで中国となんらかのかかわりをもつのであれば、そのときに備えて何かしら実のある行動に出ることが求められるだろう。

photo 新型コロナウイルスの感染拡大が今後の観光業界に陰を落とす(写真提供:ゲッティイメージズ)
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