多治見が舞台の陶芸アニメ『やくならマグカップも』、“原作者”は東京ディズニーランド生みの親! 仕掛け人が明かす観光戦略の裏側アニメ「やくも」の舞台裏【前編】(2/4 ページ)

» 2021年04月05日 14時25分 公開
[河嶌太郎ITmedia]

堀貞一郎さんとの親交

――その頃は1990年前後だと思いますが、弟子入りされるのは2001年と開きがあります。師事されたきっかけは何だったのでしょうか。

 こんなすごい人がいるのかと思って、本に書いてある内容をいろんな人に紹介していたのですが、ある時、会社の社員が「堀貞一郎さんが亡くなられましたよ」と話していたんですね。当時はインターネットも普及していませんでしたし、確かに年齢が年齢でしたので亡くなられてもおかしくないかと納得してしまったんですね。そう思い込んで、ディズニーランドに行って蒸気船のマークトウェイン号に乗り、船の上で「私が跡を継ぐ」と勝手に思って手を合わせたりもしました(笑)。

 その後、1995年に今の会社のプラネットを立ち上げるのですが、会社が大きくなるにつれて全国各地でセミナーをやる機会も増えてきました。堀先生の話もよくして、「人を集める神髄」についても話していました。こうしたセミナー活動をやり始めて2、3年経(た)ったときに、堀先生の新刊『楽しくなければ会社じゃない』(プレジデント社・2000年)という本を社員がくれたんです。

――堀先生はご存命だったのですね。

 「これっていつも小池さんが講演で話している堀貞一郎さんじゃないんですか」と言われて渡され、思わず目を疑いましたね。いつ本を出したんだろうと思って奥付を見たら、去年の11月とあったんです。それで、居てもたってもいられなくて、気付いたら動き始めていました。

――それで一直線に弟子入りされたと。

 そこからは早かったですね。自分のあらゆるネットワークを使って堀先生の事務所の電話番号を調べて、直接電話して「会ってください」と頼み込んでいました。そしたら、堀先生のほうも「会ってやる」ということで、すぐに会いに行きました。

 堀先生は東京の有楽町にある帝国ホテルの5階に部屋を持っていて、そこに伺いました。最初は行ったけれども不在で、「今日は実は堀貞一郎さんはいないんです」と事務所の人に言われてしまいました。それでも諦めずにもう一度日をあらためて行って、2回目で会えました。

――それで、念願かない弟子にさせてもらったと。

 いえ、それも断られてしまいました(笑)。でも、「通え」と言ってくださいましたね。「ホリテーマサロン」という勉強会を月に2回やられていて、これに通えと。サロンは特に入会資格があるわけでもなく、堀先生があらゆるテーマについて話すというのをずっとやっていました。サロンには多治見から毎回欠かさず通いました。

――そこから堀貞一郎さんとの親交が始まったというわけですね。

 サロン以外でも、堀先生がどこか海外に行く時にもついていきました。オーストラリアや台湾にも同行させていただきました。通い始めて7年目ぐらいになってきたあたりからは、堀先生のほうも私を気に掛けてくださって、最後は親子関係のようになっていったんじゃないかと思っています。

――堀貞一郎さんから何を学びたかったのでしょうか。

 私が知りたかったのは、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーの街づくりですね。そのノウハウを亡くなるまでに全て身につけようと思っていました。ただ、堀先生は80歳になるとホリテーマサロンをやめてしまいます。いつまでにどういう事を成し遂げるか、という逆算の発想で生きている方なので、もともと80歳になったらやめるつもりでいたようです。

 その後は「テーマサロン」として、私を中心に勉強会を引き継いでいます。辞めるときに「跡を継がせてくれ」と言ったら継がせてくれて、本当に感謝しています。堀先生の名前がつかない「テーマサロン」のサロン長は5年間やらせていただきました。

アニメ『やくならマグカップも』のメインビジュアル

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