多治見が舞台の陶芸アニメ『やくならマグカップも』、“原作者”は東京ディズニーランド生みの親! 仕掛け人が明かす観光戦略の裏側アニメ「やくも」の舞台裏【前編】(3/4 ページ)

» 2021年04月05日 14時25分 公開
[河嶌太郎ITmedia]

堀貞一郎さんからの教えを生かした観光戦略

――堀貞一郎さんやディズニーランドから得た知見を、多治見市に還元しようと思ったわけですね。観光の中でも、なぜ「聖地巡礼」を考えたのでしょうか。

 堀先生から教わったことの1つに、「ストーリー」というのがあります。東京ディズニーランドのアトラクションには、1つ1つに全て物語がありますよね。「シンデレラ城も、ストーリーが無ければただの城だよ」と堀先生も言うんです。だから、街づくりで活性化するためには、物語を作ればいいんだと教わったのです。

 堀先生自身も物語の重要性を大事にしていたようで、80歳でサロンをやめられてからは童話作家になるんですよね。山形県を舞台にした『最上川ものがたり』(余暇通信社・2008年)や、山梨県の韮崎市に頼まれて描いた絵本『ニーラ』(山梨日日新聞社・2009年)を出されています。

――物語が観光において不可欠であると見抜いていたんですね。

 当時、堀先生は日本観光学会の特別顧問もされていて、「日本は観光立国」であると仰られていました。もうモノ作りの時代は終わりだと言っていたんですね。そして、物語は勝手に作ってしまえばいいと言って実践されていました。

 アニメ『アルプスの少女ハイジ』では多くの日本人が、舞台となったスイスを訪れました。堀先生は「『ハイジ』だって、ハイジがあるからスイスに行くんだろ」と話されていましたね。堀先生自身、東京ディズニーランドを作ってきた中でそういうことを学んでこられて、東京ディズニーランドがそれを証明したというわけです。

――サロンをやめてから単に自身の創作のために物語を作っていたわけではなく、社会や地域の利益になるために活動していたわけですね。多治見も何か舞台にしてもらおうとは考えなかったのでしょうか。

 もちろん考えました。堀先生が物語を書き始めたときに、先生に多治見の物語を書いてほしいとずうずうしくお願いしてみました。その時は親子のような関係にもなっていましたし、「いいよ」と快諾してくださいましたね。

 ただ、公式的には、僕からお願いした形よりも市を代表する人からお願いしてもらったほうがいいだろうと思い、多治見市長のところに行って、「実は私、東京ディズニーランドを作った人を知っていて、その人が今作家をやっているんだけど、お金出せないかな?」と話を持ちかけました。「何でそんな人を知っているの?」という話になり、予算も確保してもらいスムーズにいきました。

――それで、市長直々に物語の執筆を依頼する形となったわけですね。

 市長も、「ぜひその堀さんに会わせてもらって街づくりを勉強したい」といったので、堀先生と市長と私の3人で東京ディズニーシーを一日かけて回りました。東京ディズニーシーの中に「マゼランズ」というレストランがあるのですが、最後はそこで食事がてら、市長から多治見を舞台にした物語の執筆を依頼する手はずとなっていました。

 「マゼランズ」には堀先生がいつも座る席があるのですが、頃合いを見て市長が、「堀先生、ぜひうちの多治見市の物語を書いてください」とお願いするんです。堀先生もこれまた演出がうまいんですよね。わざとらしく「うーん」とか「ふーん」とか言いながら考える素振りを見せた上で「分かりました。書きましょう」と受けるわけです。

 それから物語の執筆は順調に運び、2年後の2009年9月に「多治見ものがたり」(余暇通信社)が出版されます。実はこれが『やくも』の始まりだったんですよ。

「やくならマグカップも」(編集:やくならマグカップも制作スタッフ、発行者:株式会社プラネット)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.