退職金4000万円上乗せ! パナの「50代狙い撃ちリストラ」は“正解”なのかスピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2021年05月18日 09時55分 公開
[窪田順生ITmedia]

ソ連の計画経済をアレンジ

 実は現代のわれわれからすれば、旧ソ連はインチキ統計や国営企業の腐敗だらけの崩壊した国家というイメージだが、戦前から1970年代あたりまでは「資本主義の限界を超えたイケてる国」というイメージがあった。日本のマスコミが昔、北朝鮮を「地上の楽園」と持ち上げたように、経済的にも成功モデルだと思われていた。

 だから、戦前・戦中の指導者層やエリートはソ連のシステムを好んで真似た。実はその最たるものが「終身雇用」だ。これは松下幸之助氏が発明したものではなく、旧ソ連のスターリンが28年から始めた「計画経済」の必要不可欠な政策だった。国が経済発展を計画的に進めるためには、国民が自由に動き回られたら困る。そこで労働者を一つの企業に縛り付けて、一生涯同じ仕事に従事させるシステムもつくった。つまり、計画経済と終身雇用は表裏一体の関係なのだ。

 世界大恐慌を乗り切ったことで、この計画経済は高く評価され、そこに食いついたのが、日本の軍部だった。

 39年に制定された「国家総動員法」のなかにある「会社利益配当及資金融通令」や「会社経理統制令」で株主や役員の力が剥奪され、国のコントロールのもと、とにかく生産力をあげるために企業という共同体に国民を縛り付けておく手段は、ソ連の計画経済を日本流にアレンジしたものだ。

 もちろん、民間の経済人もこのトレンドに乗った。それが松下幸之助氏だ。終身雇用を唱えたのは29年、「計画経済」という最先端の経済政策を進める旧ソ連の影響があったと考えるのが妥当だ。

 「そんなのは貴様の妄想だ」と御立腹の松下信者も多いだろうが、松下幸之助が「計画経済」の影響を色濃く受けている動かぬ証拠がある。それは「5カ年計画」だ。日経新聞の「私の履歴書」を引用しよう。

 『松下電器の再建もようやく軌道にのってきた昭和31年(1956年)、私は松下電器の5カ年計画を発表した。会社は5年後、こうなるのだ、このようにするのだ――と目標を定めて経営のカジをとっていくことは、いまでは当たり前のことになっているが、そのころ、国や行政官庁ならともかくとして一企業体で、将来の目標を外部に堂々と発表するようなところはなかった。しかし私は"向こう5カ年間に売り上げを4倍にしよう"と1月10日の経営方針発表会の席上で発表したのである。これにはみんなびっくりした。"ほんとうにそんなことができるのだろうか"とみんな半信半疑であった』(日本経済新聞 2011年11月24日)

 この後、松下幸之助氏は、1世代が事業に携わることができる25年を一区切りに、10回繰り返すことで素晴らしい世の中を作っていく「250年計画」という壮大な計画を立てたことで知られている。さすが「経営の神様」とうなる人も多いだろうが、実はこの「5カ年計画」という組織マネジメントを国家として最初に掲げたのが、ほかでもない旧ソ連なのだ。

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