田原総一朗に森永康平が問う どうすれば日本経済はコロナ禍を乗り越えられるのか?いまこそ積極財政をせよ(2/4 ページ)

» 2021年07月08日 13時08分 公開
[森永康平ITmedia]

日本的経営がもたらした弊害

――本書では主に積極財政を中心とした提言がなされていますが、田原さんはそれ以外にも日本経済が復活するための方策はあると思いますか?

 日本は産業構造を抜本的に変えなければいけない。安倍(晋三)政権の末期に経団連(日本経済団体連合会)会長やトヨタ(自動車)の社長などを取材したけど、このままいけば10年後に日本企業はなくなってしまうと全員が危機感を持っていた。

 日本的経営とは何か。僕が40歳ぐらいの時に松下幸之助に話を聞いた。当時の日本を代表する経営者だった。「経営者は何を一番に考えて経営をしているのか」と聞いたんだ。すると、「経営者は全社員がどうすればモチベーションを高く保てるか。それを考えて実践するのが経営者の仕事だ」と言っていた。つまり、それがいわゆる「日本的経営」だった。日本的経営の下ではマルクスの『資本論』は通用しなかった。それはトヨタもそうだった。マルクスは『資本論』で何を書いていた?

――資本家は労働者を多く働かせて「剰余価値」を生み出し「搾取」しているという箇所を引用しようとされていますか?

 日本的経営では新卒一括採用。20代のうちは経営者や管理職から言われたことをそのまま、何も考えずに実行する。その過程でいろいろと学び、30代で課長、40代で部長になる。なかには子会社の社長になる人も出てくる。つまり、40代、50代になると人を使う側になる。だから、『資本論』では経営者が労働者をいかに安く使うかを考えると書いていた。でも、日本ではその理論は通用しなかった。一生懸命働けば、課長になり、部長になり、役員になっていく。ただ、この日本的経営こそが大問題だった。

――年功序列や終身雇用などの日本的経営は批判の的になることも多い一方で、私はむしろ見直される局面になるかもしれないと思っていますが、何が問題だったのでしょうか?

 中曽根(康弘)内閣の時、冷戦が激化していて米国の敵はソ連だった。ところが経済的な観点からは、ソ連はたいしたことがない。そこで、経済的な敵は日本だということになった。米国には日本からさまざまなモノが輸出されてきたせいで、多額の貿易赤字が発生していた。そこで、プラザ合意を経て円高不況が発生した。更に米国は「日本が輸出に励むのは内需が弱いからだ」といって無理やり内需を拡大しろと要求した。その結果、バブルが起きて、その数年後にバブルがはじけた。

 そうして日本がバブル崩壊後の不況に苦しむ中、米国ではインターネットが開発された。そこから世界は変わった。まさに、これまでは野球をやっていたのに、ある日から競技がサッカーに変わった。バブル崩壊後の不況に苦しんでいた日本は、その変化についていけなかった。

 日本的経営のもとでは上のいうことを聞く人だけが偉くなった。その結果、スピードの速いIT革命に一切ついていけないまま来てしまい、いまとなっては中国にも抜かれてしまった。つまり、守りの経営という日本的な経営姿勢と、そのもとで働く日本のサラリーマンはチャレンジができなかった。

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