「安くてうまい」をキープした“企業努力”が、庶民を長く苦しめてきたワケスピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2021年12月07日 10時15分 公開
[窪田順生ITmedia]

「企業努力」という言葉が罪深い

 なぜこうなってしまったのか。デフレが悪い、消費税が悪い、新自由主義が悪いといろいろあるだろうが、筆者は「企業努力」という言葉が罪深いと思っている。

 われわれ一般庶民は原料や原油が高騰している中で、企業側が努力して価格を低く抑えていることを脊髄反射で「良いこと」だと思ってしまう。努力とは常に正しく、美しいものだと学校や親から洗脳をされてきたからだ。

 しかし、そんな美辞麗句を並べるわりに、何をどのように切りつめて、何を犠牲にしているのか、というような努力の具体的な内容は明かされない。

日本人の給与がなかなか上がらない(提供:ゲッティイメージズ)

 原料や原油が高騰している中で価格を抑えるということは、その代わりに別のコストを圧縮していることだ。それが仕入れの方法や業務の効率化などならばまったく問題ないが、ほとんどの企業はそれだけにとどまらず、「人件費圧縮」をしれっと含める。

 つまり、厳しい経済環境になっても従業員を低い賃金で我慢をさせているのだ。世間に対して「値上げしないでがんばります」と誠実さをアピールをする裏で、身内の労働者には「賃上げ? そんなもん今の状況でできるわけねーだろ」と冷酷に言い放つ。そういう醜悪な現実を見事にオブラートに包んでくれている便利な言葉が、「企業努力」ではないか。

 ちょっと前、こういう「企業努力」という言葉の胡散(うさん)臭さが浮き彫りになった騒動があった。

 19年9月30日、『朝日新聞』の消費増税に関するチラシが炎上した一件だ。

 このチラシには、「ASA」のヘルメットをかぶった新聞配達員とともに、「日頃は朝日新聞をご愛読いただきありがとうございます。消費増税後も変わらない価格、変わらないサービスでお届けいたします」という文言が書かれていて、さらに、こんな文字がデカデカと掲げられていた。

 「朝日新聞はまだまだ値上げしないでがんばります!」

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