豊田章男研究 春闘編池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/3 ページ)

» 2022年02月28日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]
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春闘の労使交渉を動画で公開

 豊田社長は「われわれは幸せを量産する会社になります」と言う。情けは人のためならずと言うが、強欲に富を独り占めすれば、トヨタとその社員だけが栄え、社会全体が貧しくなる。やがて客もパートナーもいなくなり、富は回ってこなくなる。これまでの春闘にはそうした概念がなかった。100%を会社と組合でどう切り分けるかだけを考えていては未来が無いのは、考えるまでもなく当たり前のことなのにだ。

 そこで豊田社長がやったことが面白い。トヨタイムズを使って、労使交渉を公衆の面前に引っ張り出した。「全員ひとりも欠かさず○%のベースアップをお願いします」。それをサプライヤーもユーザーも見られる動画で公開したのだ。それでも言えるのか? 「言うな!」ではない。世の中のオープンな場で言えるのならいくらでも言っていい。

かつて閉ざされた空間で繰り広げられた攻防は、いまや公開の場であり、社会全体から評価されることになった

 厳しいのは組合側だけではない。役員の回答こそ一言一句漏らさず監視される。時代錯誤なことを言ったり、モラハラ、パワハラ発言があったら一発アウトである。

 そもそも、給与だけの話ではない。どうやって利益を上げ、価格低減で顧客にどう配分するのか。株主にはどう還元するのか。サプライヤーにはどうなのか。働き方の理想はどうなのか。それは地域や社会に資する事業なのか。開かれた交渉になれば、全てがそういう社会全体からの評価を浴びるしかない。

 つまり、企業の中核にある労使の交渉をジャッジするのは広く国民であり、誰であれ、そこで勘違いをしていれば、社会そのものからバッシングを受ける仕組みである。

 そこまでして目指すのは、日本経済全体の底上げであり、日本の産業をけん引する自動車産業の、そのまたリーダーであるトヨタが、国民の幸せにどこまで貢献できるかをステップバイステップで前進させていくための方法論である。

 新聞に踊る「トヨタ満額一発回答」の見出しを見ながら、いま豊田社長が進めている改革が、全く理解されていないことを感じつつ、ある意味で焦燥感も感じる。

 政府とメディアが、こういう取り組みを理解せず、環境だデジタルだSDGsだなどと浮かれた祭りを続けていれば、どこかでトヨタがこの国を諦める日が来るかもしれない。

 少なくとも現時点では、トヨタが日本経済の行く末を真剣に考えていることは間違いない。しかし全世界で36万人の雇用を支えるトヨタの総帥の責任を考えれば、最後の最後、不本意ながらダメな政策に付き合って、自滅を待つわけにはいかない。新天地を求めて他国へ移転する以外の選択肢がなくなるのである。

 電力政策の行き詰まり、自動車を巡る理不尽で不公平な税制、硬直した補助金政策。課題はキリがない。「もしこのままだったら、25年くらいまでにこの国を出て行くことを決定しなければならないかもしれません」。そう幹部のひとりが漏らした言葉の重さに、筆者は大きな衝撃を受けた。トヨタは変わろうとしている。それでは、社会とそこに暮らす人はちゃんと変わっていかれるのだろうか?

筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)

 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミュニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。

 以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う他、YouTubeチャンネル「全部クルマのハナシ」を運営。コメント欄やSNSなどで見かけた気に入った質問には、noteで回答も行っている。


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