「初動が遅い」「企業は金を取るな」――震災対応への批判から見る、日本のGDPが上がらないワケ働き方の「今」を知る(2/3 ページ)

» 2024年01月18日 07時00分 公開
[新田龍ITmedia]

(1)「対応が(過去の災害と比べて)遅い、小規模だ」

 自衛隊の災害派遣の初動が1000人規模と報道されたことから「熊本地震の際と比較して、自衛隊の投入人数が少ない」などと批判する声がみられた。

 しかし、前提条件がまったく異なる災害を同じ土俵で論評すべきではないだろう。熊本地震の際は災害発生から2日後に約1万5000人の即応態勢がとられていたが、これはたまたま自衛隊基地が近くにあり、「号令をかけた」のがその規模だったのであって、全員が同時に現場に入って作業に当たったわけではない。

 他方、今回は被災地近辺に基地がないばかりか、被災地域が能登半島の特に先端という地理的制約、交通網が途絶していたという条件がそもそも異なる。海岸沿いのわずかな平地を縫うように走る道路は、地震による土砂崩れや陥没、崩落など大きなダメージを受けてしまっている。被害は広範に及んでおり、物資輸送や救援活動にも支障を来している状況だ。活動のためには、まず道路を切り開くところから開始しなくてはいけなかった。実際、道路啓開と活動領域の広がりに合わせ、派遣人数は6日までに5400人規模に拡充している。

(2)「首相が新年会に出席したり、休んだりしている」

 5日、岸田首相が経済団体の新年会など複数の宴席に出席していたことを指摘し、「震災で大変なときに宴会をハシゴするなんて」と批判する意見がみられた。しかし首相動静をよく見れば、それぞれの会合に出席している時間はわずか10〜20分程度。来賓としてスピーチし、関係者に挨拶したあとはすぐに次のスケジュールへと移動している様子が分かるだろう。

国会議事堂、画像提供:ゲッティイメージズ

 なおNHKの報道では、経済3団体共催の新年祝賀会について「地震や事故を受けて、名称から『祝賀』を取って『新年会』に変更」「例年用意されている金屏風は取り除かれ、会の冒頭では地震や事故で亡くなった人たちに黙祷を捧げた」「アルコールの提供も、乾杯の発声もなし」といった様子が伝えられていた。また、出席している大企業の経営者に対して、経団連会長より寄付や物資提供が呼びかけられるなど、支援の動きが進む場となっていた。

 また8日の首相動静に記された「午前中は来客なく、公邸で過ごす」との一文を取り上げて「祝日モード」だと揶揄する投稿もSNS上で拡散したが、その前後のスケジュールは当然のように詰まっていたし、正月返上で分単位の対応をこなしてきたトップに対してあまりに配慮のない文句だといえるだろう。逆に、トップ自ら不眠不休で細かく指示を出したり、連絡をとらねばならなかったりする組織の方が心配である。むしろ、災害発生から1週間で緊急対応が一段落し、トップが少しの間休んでいても現場が動いてくれるシステムのほうが完成度は高く、安心できると考えられないだろうか。

 そもそも、災害時に「総理は早く現場に行け!」「先頭に立って動け!」などという批判もよく見かけるのだが、これは「現場で手や身体を動かすことこそが仕事」という考えに囚われた、あまりに解像度の低い、近視眼的な見方と言えるだろう。民間企業においても平社員が「社長はいつも重役出勤で、夜は会食ばかり。現場のことなんて何も知らないんだ」などと文句を言う場面が見られるが、それと似たようなものかもしれない。

 会社も国も同じく、現場で手や身体を動かす仕事もあれば、それを管理する仕事もある。管理者から上げられた情報を基に大局的な意思決定をしたり、関係者と調整を図ったりすることもまた仕事なのだ。現場には現場の、トップにはトップの役割がそれぞれ存在する。現場からはトップの仕事が見えにくいのは仕方がないが、少なくとも現場で手や身体を動かすことがトップの仕事ではないだろう。

(3)「被災地に物資を提供した企業がお金を取っている」

 国の災害被災地に対する「プッシュ型支援」の一環として、国は備蓄を持たず、各業界団体と連携し、被災地からの要請を待たずに必需品を届ける仕組みが確立している。支援物資の費用は国が後払いするのだが、それに対して「大企業と国の癒着としか思えない」と批判されていた。

 しかし、このような批判で困るのは、生活必需物資が届かない被災者である。国が被災者のために至急の対応を依頼し、その依頼に応えられる大企業が休日返上で生産、輸送、納品し、それに対して国が対価を支払う。なんら問題のない、立派なビジネスであろう。国が前もってこのような仕組みを構築しているからこそ、企業もお金を気にせずに被災者最優先で行動できるのだ。無償で善意に期待するよりも、契約と対価が明確なほうが信頼もできるというもの。それとも、批判している人たちは、民間企業に負担を押し付けることを望んでいるというのだろうか。

 あくまでこのような批判はごく一部であると考えたいが、考えうる限り充分に手厚い復旧対応を目の当たりにしても、完璧ではないことを問題視し、重箱の隅をつつくかのような批判は目に余る。この姿勢は民間企業のサービスに対しても同様であり、われわれは「丁寧な接客サービスが受けられる格安店」や「追加料金不要で時間指定ができる宅配サービス」など、安価でありながら高いレベルのサービスに慣れすぎているのではなかろうか。

 本来、高品質のサービスには相応の高額な対価が当然であるが、高品質サービスに慣れすぎるといずれ価値を感じられなくなってしまう。「安価で、早くできて、高品質なサービスが全国あまねく行き届くことが当たり前」というお客様マインドが蔓延(まんえん)しすぎてしまっては、その高品質サービスを大変な思いをしながら提供し、支えてくれている人の存在に思いを巡らすこともできなくなるリスクがある。

 お客様マインドで過剰な対応を要求することを疑問視しない姿勢は、わが国においてブラック労働がなくならない理由の一つかもしれない。

 あくまで個人的な考えであるが、この点は、わが国の「1人あたりGDP」が低い理由の1つとも考えられる。

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