後にウラジオストクへの定期航路ができ、シベリア鉄道と連絡して欧州各都市への路線が形成されると、敦賀は大陸に開かれた玄関口として栄え、明治末から戦前まで、新橋(東京)と敦賀港にある金ケ崎(後に敦賀港駅)との間に「欧亜国際連絡列車」が運行された。東京からパリは海路で約40日かかっていたが、17日に短縮された。
同館には「東京−ベルリン(ドイツ)」と乗車(乗船)区間が記された連絡キップ(レプリカ)など貴重な資料が並ぶ。東京からパリまでの時刻表で、ベルリンが「伯林」、モスクワが「莫斯科」など、経由する都市が漢字で表記されているのも興味深い。
増田さんは「ジュネーブ(スイス)国際連盟総会で脱退を宣言した松岡洋右や、NHK大河ドラマ『いだてん』の主人公でストックホルム五輪に出場した金栗四三(かなくりしそう)のほか、歌人の与謝野晶子も利用しました」。海外からの入り口でもあり、ナチス・ドイツによる迫害を受けたユダヤ人の亡命を手助けした杉原千畝(ちうね)の「命のビザ」を持った難民も上陸したという。
copyright (c) Sankei Digital All rights reserved.
Special
PR注目記事ランキング