都会の限界集落「都営桐ケ丘団地」は今 かつて「マンモス団地」と呼ばれた(1/3 ページ)

» 2024年03月16日 09時10分 公開
[産経新聞]
産経新聞

 人口の50%以上を65歳以上が占める「限界集落」と化す事例が地方だけでなく、東京都内にも広がり始めている。高度経済成長期に建設された集合住宅で、半世紀以上の時を経て高齢化が進行。建設当時は若い住民や子供の笑い声であふれた団地も、住民の高齢化や施設の老朽化、店舗の撤退などにより、社会生活の維持が困難になる場合があるという。そんな団地の一つ、都営桐ケ丘団地(東京都北区)を訪ねた。

最盛期で5千世帯

 JR赤羽駅から西へ700メートル。緩やかな坂を登った先に、都営桐ケ丘団地は静かにたたずんでいた。

photo 団地内にある桐ヶ丘中央商店街。日中でも商店街のシャッターは閉まり、人影はまばらだった=昨年10月、東京都北区

 都営住宅の低層アパートが林立し、「マンモス団地」とも呼ばれる桐ケ丘団地。高度経済成長期に入った昭和30年代、首都で急増する人口の受け皿として入居が始まったこの団地は、最盛期で5千世帯の住民が暮らしていたという。

 「なんて騒々しいところに引っ越してきたんだろう」

 建設当初、団地に移り住んだ80代女性は当時の賑わいぶりに、そう驚いたことを覚えている。

 「欲しいものは何でも団地の中で買うことができた」と女性は振り返る。

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