企業が賃金を上げ始めた理由として「補償賃金格差」も考えられます。
週刊誌『ダイヤモンド』は、口コミデータを集計して、働き方に関する従業員の不満が多い「ブラック企業ランキング」を発表しています。投稿数と企業規模の間に相関があることを承知の上であえて言いますと、上位は日本人なら誰でも知っているような有名企業ばかりです。
それらの企業の口コミの内容をみると、「休日出勤が常態化している」「ノルマを達成できないと容赦なくクビになる」「ほぼ強制的にサービス残業をさせられる」「基本給が安く抑えられていて、ボーナスでとんとんになる」などがあり、相当厳しい労働環境であることがうかがえます。
興味深いことに、この「ブラック企業ランキング」で上位にランクされている企業はいずれも、今年大幅な賃上げを断行することが報道されています。これは補償賃金格差の好例です。補償賃金格差とは、劣悪な労働環境しか提供できない会社は、それを補償するだけの高い賃金を払わなければ働き手を確保できないという説です。
賃金が高くて、福利厚生が充実しており、なおかつ仕事も楽であるというような、夢のような話が、どこにでもあるはずがありません。
「ブラック企業ランキング」の上位企業では、既存社員の賃金にも増して、初任給をより一層上げています。いくら将来性があるとはいえ、何の実績もない新入社員の賃金をなぜ上げるのでしょうか。
まず、経験を積むこと、ベテランになることの、潜在的なメリットが日本全体で低下しています。
一橋大学大学院の横山泉教授は、年収の変化に対して教育年数、潜在経験年数、勤続年数、産業、パートであるか否か、そして企業規模が、それぞれ与える影響を分析しています。分析によれば、男女の高賃金層、中賃金層、低賃金層のほとんどで、潜在経験年数(学校卒業後の年数)と勤続年数のリターン(賃金を上昇させる効果)が低下しています。その背景には、年功序列に代表される日本型雇用慣行の崩壊や、教育訓練の効果の低下などがあります 。
第二に、「スキル偏向型技術進歩」の影響があります。企業がスキルの高い労働者の採用を促すような技術進歩という意味です。スキル偏向型技術進歩のもとでは、学歴よりもどんなスキルを持っているか、どんな仕事についているかの方が、賃金をより大きく左右します。
スキルというと人工知能やデータサイエンスが真っ先に思い浮かびますが、必ずしもそういう先端技術だけではありません。例えば読解力も、賃金に確実な影響があります。そして読解力を単に持っているかどうか以上に、読解力を使う仕事についているかどうかが、賃金を大きく左右します。読解力はベテランも新入社員も大差ありません。
これは老人ホーム業界に限った話ですが、経済学者のノルベルト・へーリングとオラフ・シュトルベックによると、それまでなかった最低賃金制度が導入され、賃金が上がったことによって、破産が増えたことを示す証拠は見つかりませんでした。筆者は賃金制度のコンサルティングをしていますが、賃金制度改革は不可避的に賃金の増加を伴います。しかしそれによって経営危機に陥った企業は一つもありません。賃金を上げて倒産する会社はないということでしょうか。
人事評価専門のコンサルティング会社・リザルト株式会社代表取締役。企業に対してパフォーマンスマネジメントやインセンティブなど、さまざまな評価手法の導入と運用をサポート。執筆活動も精力的に展開し、著書に『スリーステップ式だから、成果主義賃金を正しく導入する本』(あさ出版)、『会社の法務・総務・人事のしごと事典』(共著、日本実業出版社)、『賃金事典』(共著、労働調査会)など。Webマガジンや新聞、雑誌に出稿多数。上智大学経済学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。MBA、日本賃金学会会員、埼玉県職業能力開発協会講師。1961年生まれ。趣味は東南アジア旅行。ホテルも予約せず、ボストンバッグ一つ提げてふらっと出掛ける。
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