イトーヨーカ堂の発祥は1920年(大正9年)、都内にオープンした「めうがや洋品店」だ。祖業はアパレルなのである。同社の創業者、伊藤雅俊氏の叔父にあたる吉川敏雄氏が後に「羊華堂洋品店」へ改名した。
店は繁盛して、千住、荻窪にも支店をオープン。1929年(昭和4年)、諸説あるが日本初とも言われるボランタリー・チェーン「全東京洋品商連盟」を7人の仲間たちと設立。当時、勃興してきた百貨店に対抗する狙いがあった。共同仕入れにより、廉価で販売。しかも、流行りの服を研究して発注したので、大いに成功を収めた。
このように大衆的な洋服の販売店として、最先端を走っていたのが、 羊華堂洋品店だったのだ。
1940年、伊藤雅俊氏の兄、伊藤譲氏がのれん分けにより、浅草に「羊華堂」を開業した。1956年、伊藤譲氏が急逝し、雅俊氏が経営を継承。また、1961年には欧米の流通業を視察した雅俊氏がレギュラーチェーン政策に着手した。
1972年頃には鳩のシンボルマークを制定し、現在の「イトーヨーカドー」の骨格が出来上がった。同年、東京証券取引所第二部に上場している。
1970年代から店舗を東日本中心に拡大して、ダイエーやジャスコ(現・イオン)などとともに、イトーヨーカドーは、全国的な知名度を持つスーパーマーケットチェーンとなった。
1970年代後半から1990年代にかけて、衣食住に関する商品が何でもそろうGMSが、全国各地で中心駅前の一等地に台頭。イトーヨーカ堂もその流れに乗った。
一方で、アパレルのユニクロ、しまむら、紳士服の青山商事、AOKI、家具のニトリ、大塚家具、家電のヤマダデンキ、ヨドバシカメラといった「カテゴリーキラー」と呼ばれる、専門量販店が次第に台頭してきた。
GMSの売り場は、専門的な商品の品ぞろえが良く、しかも安価なカテゴリーキラーに押されていった。
こうしたことが要因で、GMSは業績不振に陥った。ダイエーとニチイはイオン傘下、西友は米国のウォルマート傘下(現在は米国の投資ファンド、コールバーグ・クラビス・ロバーツ傘下)といったように、スーパー再編が起こった。
2000年に大店法の規制が緩和された。これをチャンスと見て郊外のSC(ショッピングセンター)開発に注力したのは、イオンだった。イオンと他のスーパーはここで差がついた。
イオンはGMSでは苦戦しつつも、既に1990年代よりSCによる大規模開発に着手。カテゴリーキラーをもテナントとして大幅に取り込んだイオンモールを構築。2024年3月現在で、イオンモールの数は国内165、海外37で、202店舗に達している。
それに対して、セブン&アイ・ホールディングスも、「アリオ」というSCのブランドを持っているが、19店舗にとどまっている。
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