ウイスキー蒸溜所「1万円ツアー」が盛況 サントリーが強気の値付けでも、満席が続く理由火曜日に「へえ」な話(2/5 ページ)

» 2024年09月10日 08時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

長いトンネルに入る

 山崎が誕生したのは1923年。白州はその50年後の1973年に“産声”をあげた。いずれも古い話になるので、きちんとしたデータは残っていないものの、白州についてはオープン時から見学者を受け入れていた。しかし、認知がそれほど広がっていなかったこと、蒸溜所の規模がいまと比べて小さかったことなどが影響して、来客数はそれほど多くなかったようだ。

白州のものづくり棟

 それでも「1人でも多くの人にウイスキーのことを知ってもらいたい」「1人でも多くの人にウイスキーづくりのことを感じてもらいたい」といった思いがあって、さまざまな試みを行ってきた。毎年のように見学ツアーの内容を変えたり、イベントを開催したり、セミナーを実施したり。工夫を凝らすことで来場者がじわじわ増えていくが、暗くて長いトンネルに入ってしまう。原因は、ウイスキー市場である。

 ご存じの人も多いと思うが、ウイスキー市場は1960〜1970年代にかけてぐんぐん伸びていった。しかし、1983年をピークに25年ほどダウントレンドが続く。となると、蒸溜所に影響がでるのは必然である。

(出典:サントリー)

 仕込みの量が減って、蒸溜の頻度が減少して、製品にしても在庫が余って……。繰り返しになるが、苦しい状況が2〜3年という話ではない。四半世紀も続いたが、そうした中でも「蒸溜所を見学したい」人のために、扉は開けたままでいたのだ。

 その後、2000年代に入って、ハイボール人気が高まることで、市場はじわじわ回復することに。売り上げの数字を見ると、ピーク時の半分といったところだが、蒸溜所では原酒の飲み比べツアーなどを実施することによって、来客数が少しずつ回復していったのだ。

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