そこでまずは「ワークシックバランス」の実現です。ワークシックバランスとは、病を抱えながら働く人が、周囲の理解を促しながら仕事と病との調和をとり、病があっても自分らしい働き方を選択できることを目指す考え方です。
ワークシックバランスが徹底されれば、“働き手候補者”が労働市場に参入できます。人知れず病と闘いながら働いている人の潜在能力を引き出すことも可能です。
実際、2022年時点で働く人全体の40.6%が病気やけがで通院しています。2001年の28.2%から12.4ポイントも増加しました(厚労省調べ)。
一方、何らかの疾患を抱えながら働いていることを、会社(所属長・上司)に相談や報告「できない」あるいは「していない」人は、正社員でも4人に1人(25.3%)もいます。非正規雇用の場合、派遣社員では半数近い46.2%、パート・アルバイトは38.1%、契約社員は31.5%と、正社員を大幅に上回ります。
歳を重ねれば細胞は老いるし、体のありとあらゆる機能は衰えます。なのに「病と共に働く」のが難しい現実がある。突然病気を告知され、これまでの通りの生活は送れない状況になった時に誰にも相談できず、1人で悩むしかない社会は、シンプルにおかしいと思います。
そもそも70歳まで働くのが当たり前になり「75歳まで働けそう!」と思える人は確実に増えているのですから、どんな雇用形態であろうとも、どんな立場や年齢であろうとも、「実は私……」と弱音をはける空気をつくる。それこそが、心理的安全性(psychological safety)のある組織です。
心理的安全性=意見を言う職場と思い込んでいる人がいますが、psychological safetyとは「自分のマイナスになるかもしれないことでも言える雰囲気が、チーム内にある状態」を示す言葉です。Psychological safetyを、Trust(信頼) やMindfulness(マインドフルネス)と混同する人もいますが、Trustは他者への感情であり、Mindfulnessは自己の感情であるのに対し、Psychological safetyはあくまでも「場=チームや職場」に抱く感情です。
「実は私、がんになってしまって。治療しなければならない」「実は私、目に見えない難病なので、急に体調が悪くなってしまうことがある」などと言い合える職場を、知恵を絞って実現すれば相当な人手不足は解消されるはずです。
そして、ケア労働を評価する社会の実現も欠かせません。ケア労働とは、育児や介護をはじめ、家族が生活を営むために必要な家事を担う重要な労働です。給与をもらい働く市場労働とともに、生きていくためには必要不可欠なものです。
女性をはじめとした、出産・育児・介護・看護のために“働き手候補者”にならざるを得ない人たちを労働市場に呼び寄せるには、ケア労働を市場労働と同等評価し、男性の育児・家事時間を増やすしかない。
日本同様「性役割」が根深いドイツでは、労働時間を徹底的に管理することで「男性も仕事ばかりしないで、さっさと家に帰って家事育児をしなさい!」という社会をつくってきました。
「1日10時間以上働くこと」は原則禁止し、抜き打ちの監査が入るほど厳重に徹底され、残業超過が発覚した場合には、雇用者(もしくは管理職)に最高1万5000ユーロ(約180万円)の過料もしくは1年以下の懲役という罰則が課せられました。有給休暇も年間で最低24日間と定め、100%近い消化率。さらに、残業した分は「労働時間口座」に貯蓄し、後日休暇などで相殺し、自分の時間に転換することもできます。
こうして市場労働の時間を制限する一方で、2017年にドイツ政府は「ケア共同モデル」の方針を発表。従来の専業主婦モデルから脱し、男女双方がケアを共同で担う新しい家族像を提唱しました。
日本は「バリバリ元気な男性の働き方」がスタンダードのまま、女性を労働市場に参入させてきました。しかし、時代は変わり、共働き夫婦がスタンダードです。ならば、男性が家事育児をすることも当たり前にする必要がある。
そのためには政府や企業が、市場労働だけじゃなくケア労働を評価するしかないのです。
人が持つ「仕事」「家庭」「健康」の3つの幸せのボールを、どれも落とすことなくジャグリングのように回し続けられる働き方、働かせ方が今こそ求められています。それを実現してこそ、全てのメンバーが生き生きと働ける職場といえるでしょう。
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。
研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)、『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか - 中年以降のキャリア論 -』(ワニブックスPLUS新書)がある。
2024年1月11日、新刊『働かないニッポン』発売。
「育休はなくす、その代わり……」 子なし社員への「不公平対策」が生んだ、予想外の結果
「転職は裏切り」と考えるザンネンな企業が、知るべき真実
人手不足倒産、年間の最多を更新か 労働市場の流動化も影響?
伊藤忠「フレックス制をやめて朝型勤務に」 それから10年で起きた変化
「退職者は裏切り者」と考える企業が、採用にもつまづくワケCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング