古舘伊知郎が語る「プレゼンの極意」 修羅場を乗り越える「準備」と「捨てる覚悟」とは?(1/2 ページ)

» 2024年10月03日 09時00分 公開
[武田信晃ITmedia]

 喋り手のプロ古舘伊知郎は、スポーツ実況、番組の司会、自身が開く一人しゃべりのトークライブ「トーキングブルース」などで、数々の名フレーズを作ってきた。それはアドリブから生まれたものではなく、用意周到に準備してきた中で出てきたものだという。

 「準備は本番。本番は超本番」だと説く書籍『伝えるための準備学』(ひろのぶと株式会社)が出版された。この本は、メディア関係者の取材準備だけでなく、入社式や株主総会でプレゼンをする経営層や、商談に奔走する営業担当者などビジネスパーソンが仕事をする際の事前準備について書かれた本だ。

古舘伊知郎(左)と、ひろのぶと株式会社の田中泰延社長

 版元であるひろのぶと株式会社の田中泰延社長は「私も電通のコピーライター時代は毎週プレゼンの準備をしていました。ビジネスの現場で、緊張するとか伝えることが得意でないとかいった理由で、何て言っていいか分からないという悩みを持つ人は多いです。商談やプレゼンも、実は準備さえすれば、うまくいく。そのことをビジネスパーソンに届けたい」と話す。

 本番を成功に導くための準備とは何か? 東京都の「下北沢 本屋B&B」で開催された本書の刊行記念イベント「瞬間は準備によってつくられる」で、古舘が語った。

スポーツ実況、番組の司会、トークライブ「トーキングブルース」などで数々の名フレーズを作ってきた古舘伊知郎。現在ABEMAで放送中の経営者による討論番組「For JAPAN -日本を経営せよ-」も話題になっている

準備は面倒 だが、行きつくと快感に変わる

 ビジネスシーンでは、常に事前準備の必要性に迫られる。その時に、つらい準備から逃げることなく、真正面から向き合えるか。これが成功のカギとなる。一方で、現実では想定通りにいくことはほぼない。だから、準備したものを捨てる勇気も必要なのだ。

 古舘はもともとプロレス実況で有名になった。プロレスの実況をする上で古舘は、選手の出身国や家族などさまざま背景を徹底的に調べ上げたという。例えば、身長が2メートル23センチあったプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントを「人間山脈」「1人民族大移動」など独自の言葉で表現した。言葉にする過程については「観察し、妄想し、人じゃないものを擬人化する」のだという。「(アンドレ・ザ・ジャイアントが)あまりにも大きいので、何かに例えようと思い、ずっと観察、妄想していました」

 F1の実況も古舘の代表的な仕事だ。だが、実は初めてのレースでいきなりつまずいた。古舘は「準備不足だったから」だと自戒する。当時はF1のことをあまり知らなかったものの「過去の経験から何とかなる」と開き直っていたのだという。

 「しっかりと準備をしないまま、開幕戦のブラジルGPを迎え、スタート直後の第1コーナーでアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーの接触事故が起こりました。すると解説の森脇基恭さんが『接触しています!』と話していて……私もそれを『接触』と後追いしました(苦笑)。スタートしていきなりの“実況失格”でした。恥ずかしかった」

 スポーツ中継において、実況は、今起きている事象に合わせて言葉で状況を表現していく。この接触事故のケースでは、実況の古舘が「接触」について先に実況し、その接触の原因について実況が解説者に聞くのが通常の対応だ。しかし、レースの重要なポイントとなった接触について、解説者が古舘より先に言葉を発し、実況が後追いをしてしまった。つまり古館は、実況の役割を果たせていなかったのだ。

 古舘はなぜ失敗したのかを振り返る。「(準備不足とはいえ)一応、準備したものを全部言おうとしていたのです。フジテレビに抗議電話が殺到して、本当に反省しました」

 本書には、古舘がF1実況を準備する際に作成した資料が掲載されている。例えば、モナコGPのコース図を手書きし、その周りにコース概要についての情報を書き込んだ。別紙には、各ドライバーとチームについて取材した話や、考案したフレーズがびっしりと書かれている。

 「準備は面倒でつらいです。モナコGPのときだって(余暇で)カジノに行ってみたいと思うし、スタッフは飲み会に行っても、自分は1人、部屋で準備をしているのです。でも、やめたい思いがピークまで来ると、人間の脳や心に必ずリバウンドがきます。すると、いやだな、苦しいなという思いが快感になって、つらいことが楽しくなってくるのです」

 古舘が本当に自分を追い込み、仕事に真剣に向き合って準備したからこその話だ。

古舘がF1実況の時に準備していた資料(古舘伊知郎『伝えるための準備学』(ひろのぶと株式会社)より)

本番前に「準備したことを捨てる」 「最悪の本番」を想定せよ

 古舘は、これだけ緻密な準備をしながらも、最後はその準備をいったん捨てることが重要だと説く。

 「徹底的に準備はするのですが、本番の数分前には、その準備したことを捨てます。なぜか? 例えば、トーキングブルースの本番が始まった後、お客さんのウケ1つで話の間やタイミングが変わったり、携帯電話が鳴ったりして、準備した通りにやれることはあり得ないからです。ただ、準備をして頭の中に一度入れたのだから、捨てたとしてもかなりのことが残っているはずです。全部捨て、会場を見て、その場の空気感でやろうと思うと、荷が降りた感じがします。そして、気持ちを楽にして舞台ができるんです」

 準備の中で「最悪の本番」を想定しておくことも大事だそうだ。それはテレビ朝日「報道ステーション」の初代メインキャスターを務めているとき、休止中だったトーキングブルースの公演を1日だけ開催した際に感じたのだという。

 「報道ステーションの反省会が終わったのは深夜の0時40分です。その後、地下のリハーサル室を借りて、本番さながらで(トーキングブルースの)リハーサルをやりました。すると頭が“報道ステーション脳”になっていて、“トーキングブルース脳”になっていない。もう言葉が出てこない。最悪で顔面蒼白になりました」

 そんな最悪な状況の中「これはもう寝ないと体がもたない」と判断し、帰宅して午前4時には床に就いたという。

 「本番当日は、開き直ろうっていうのと、怖いという思いの相半ばで本番をやったら、スムーズにできました。前日に“最悪の本番”をやったからですね。それを事前にやっておくと、翌日の本番はそれよりはマシになる。マシになったことで安堵(あんど)して調子に乗れるんですね」

 最悪の本番を体験することは、実は「心を楽にするための手段」であり、良いパフォーマンスにつなげる秘訣なのだ。古舘は、就活や会議のプレゼンの場でも同じことが言えるのではないかと話す。

 「例えば、就職の面接で自己PRをするとき、事前に準備したことをこなそうとすると思います。しかし、本番は何らかのいたずらが起きて理想の自分にはなれません。だったら準備をするだけして、あとは本番の直前で捨てた方がいい。準備した残滓(ざんし)がありますから、それを元にしてやると、ちょうどいい感じになるはずです。捨てないと、準備した通りにやろうとして本番がギクシャクしますよね」

 取引先との商談や会議の場でも同じだ。準備すればした分だけ、どうしても事前に作成したパワーポイント通りに進めたくなる心理が働く。

 「準備をするだけして、その準備をいったん捨てるのは、とても効率が悪いことです。私の理屈では、準備というのは本番で、本番は何かというと『超本番』なんです。だから準備さえしていれば、肝心の超本番では憂いがなくなります」

 つまり古舘は、準備すること自体の中で、本番を一度シミュレーションしているのだ。だから本番(古舘のいう超本番)では、迷いなく進められるのだろう。数々の修羅場をくぐってきた古舘独自の仕事術がつまっている。

準備の中で「最悪の本番」を想定しておくことの大事さを、トーキングブルース開催時に感じたという(トーキングブルースのWebサイトより)
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