高橋嘉尋(たかはしよしひろ)
プライシングスタジオ代表取締役社長。
これまでリクルートをはじめとする大手企業から、「money forward」など中小企業まで数十サービスの価格決定を支援。
また、公的機関、学会、雑誌などへのプライシングに関する論文提出や講演会、寄稿などを通じ、プライシングに対するノウハウを積極的に発信。
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退職代行サービスは近年、一気に定着しましたが、賛否の分かれるサービスです。歓迎の声も一定ある一方で、
「本当にそんなサービスが必要なの?」「自分の力で会社を辞められないの?」
といった疑問や批判の声も少なくありません。
会社を辞めることにお金を払う人が本当にいるのか? そんなニーズがどれほどあるのか? プライシングの専門家である筆者自身も、実は半信半疑でした。
正社員の退職代行が2万2000円、パート・アルバイトが1万2000円。この価格設定は高いのか、安いのか? なぜ、人は退職代行にお金を払うのか? 仮に価格を変えたら、需要はどう動くのか?
今回はアルバトロス(東京都品川区)が提供する、正社員の退職代行を2万2000円で請け負うサービス「モームリ」を対象に、実際に顧客の支払い意欲を調査します。
モームリとは、会社員が勤務先と一切やりとりせずに退職できる退職代行サービスです。弁護士監修のもと、利用者に代わり退職の意思を会社に伝え、手続きを進めます。違法リスクのない安全な退職代行をうたっており、成功率はほぼ100%。追加料金なしの明瞭な料金体系で、正社員・契約社員・アルバイトなど、職種を問わず対応可能なようです。
同サービスに対する顧客の支払い意欲を調査するために、今回はPSM分析(Price Sensitivity Meter)という手法を用いました。
PSM分析は、消費者が「この価格なら買いたい」「この価格は高すぎる」と感じる基準を明らかにする手法です。簡単に言えば「いくらなら高すぎると感じるか」「安すぎて不安に思う価格はいくらか」といった消費者の心理を探るものです。
一般に、商品やサービスの価格は安ければ良いというわけではなく「安すぎると品質が心配」「高すぎると手が出ない」 という2つの心理が働きます。PSM分析では、このバランスを数値化し、適正価格の範囲を特定します。企業はこの結果を基に、売り上げを最大化できる価格を設定したり、ターゲット層に最適なプランを考えたりできます。
今回は、退職代行サービスの利用を検討、または利用経験がある人を対象に、このPSM分析を実施し、適正価格を分析しました。
まずは正社員で、利用した・想定している人の分析結果から見てみましょう。
図1を参考にすると、現行価格の2万2000円から2万5000円に、価格を10%以上引き上げても顧客数は減少しないという結果が出ました。その場合、売り上げは13.6%も上がります。
続いて、パート・アルバイトで利用をした・想定している人の分析結果です。
こちらも正社員同様、現行価格の1万2000円から1万5000円まで、価格を3000円、実に20%以上を引き上げても、顧客数は減少しない結果になりました。売り上げは25%も上がります。
いずれもこれだけ大幅な値上げをしても、顧客数は減少しないという結果となり、サービスに対する根強いニーズを感じますね。
続いて、顧客属性ごとの支払い意欲の差を分析してみました。すると、3つの属性に該当する人は支払い意欲が高いという結果となりました。
1つ目の属性は、医療関連の業種に勤めている人です。
厚生労働省のデータによると、医療・福祉業界は他の業種と比べても離職率が高い傾向があります(「雇用動向調査」)。この背景には、人手不足や長時間労働による過酷な勤務環境があり、退職を申し出ても引き止められやすい業界特性があります。また、医療従事者は勤務時間が不規則であり「退職交渉に時間を取る余裕がない」ことも、退職代行のニーズを高める要因になっていると考えられます。
2つ目は若年層です。
近年の調査では若年層、特に20代の転職率は他の世代より高く「転職を前向きに捉える傾向」があることが指摘されています(厚生労働省「雇用動向調査」)。また、終身雇用の意識が薄れ、キャリアの選択肢として「転職を前提とする働き方」が一般的になりつつあります。こうした背景から、退職の意思決定が比較的早く、退職代行サービスを使う心理的ハードルが低いことが考えられます。
3つ目の属性は女性です。
リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」によると、女性は職場の人間関係やハラスメントを理由に退職する割合が男性より高いことが分かっています。また、総合職に占める女性の割合が増えてきたものの、依然として「言い出しにくい環境」に置かれるケースもあり、退職交渉のストレスを避けるために退職代行を利用する意向が高くなる可能性 があります。
今回の調査から、想定以上に値上げが可能であり、適正価格よりも低い価格で提供していることで現在、売り上げの機会損失が発生していると分かりました。このまま適正価格を見極めずに低価格のまま運営を続ければ、本来得られたはずの利益を逃している可能性があります。
さらに、支払い意欲の高い顧客属性が明らかになったことで、ターゲティングや広告の訴求方法をより精緻に設計するヒントも得られました。例えば、若年層や女性、医療関係者のニーズに特化した広告クリエイティブやメッセージを作成すれば、より効果的にアプローチでき、集客効率が向上する でしょう。
また、医療業界では「辞めたくても辞めにくい」という特殊な事情が存在するため、医療従事者向けのオプションを追加したプレミアムサービスを設計することで、より高単価なプランを提供できる可能性も見えてきました。例えば「病院側との引き継ぎをスムーズに進めるサポート」や「夜間・早朝対応プラン」など、医療従事者特有のニーズに応えることで、単価アップと顧客満足度の向上を両立できるかもしれません。
このように、価格調査を実施することで、単に「いくらが適正か」を知るだけでなく、戦略的な価格設定の重要性、ターゲティングの改善、そして新たなサービスの可能性まで見えてきます。
モームリは、単なる退職代行サービスではなく、退職支援をした顧客に対して転職支援も行うことで、二毛作的にビジネスを展開している会社です。つまり、退職代行の利用者を転職支援の顧客としても取り込むことで、退職だけでなく、次のキャリアまでをサポートするビジネスモデルになっています。
この視点に立つと、価格設定の戦略も変わってきます。仮に転職支援サービスの利益率が高いのであれば、退職代行サービスの価格をあえて下げ、より多くの顧客を獲得し、その後の転職支援で収益を上げるモデルが成立するためです。顧客数が増えれば、それだけ転職支援の利用者も増えるため、全体の売り上げや利益を最大化できる可能性があります。
しかし上記の分析結果によると、現状は「価格が低すぎるわけでもなく、高すぎるわけでもない」というやや中途半端な価格帯になっているようにも見えます。今後、どちらに重点を置くのかを明確にし、価格戦略を最適化することで、さらに大きな成長のチャンスが生まれるでしょう。
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