ヤオコー、ライオン、カプコン、トリドール(丸亀製麺)、ニッスイなど2500社への導入実績を持つ経費精算SaaSのTOKIUM(東京・中央)が、事業モデルの根本的転換を宣言した。
同社の黒崎賢一社長は従来のSaaS企業から「経理AIエージェント企業」への完全移行を発表。社長自らCPO(Chief Product Officer、最高製品責任者)に就任し、既存事業を単一のAIエージェント事業に統合する徹底ぶりである。
「SaaSは良いという去年までの発想は、変えなければいけない」
経費精算サービスを手掛けるTOKIUMの黒崎社長は、13年間築き上げてきたSaaS事業の根本的な転換を宣言した。20歳で創業し、10年以上にわたって経理業務特化のSaaSを手掛け、8000人規模のオペレーター体制を構築してきた経営者の決断は、他社の「AIエージェント」宣言とは一線を画す本気度を示している。
TOKIUMが目指すのは「経理AIエージェントのナンバーワン企業」への転身だ。第1弾として7月から「AI出張手配」サービスを開始し、2026年5月までに20種類のAIエージェントを展開する計画である。
SaaS業界内で、AI時代への対応を巡って各社の戦略が鮮明になっている。多くの既存SaaS企業が「SaaSはまだ死んでいない、AIで進化していく」という立場を取る中、TOKIUMは「SaaSのままではもう持たない」と先鋭的な判断を下した。
この発端となったのが、米MicrosoftCEOのサティア・ナデラ氏による「SaaS is Dead」発言である。同氏は2024年末のポッドキャストで「従来型の業務アプリケーションはエージェント(AIによる知的代理)が台頭する時代には崩壊し、SaaSの時代は終わる」と発言。「現在のビジネスアプリは結局GUI付きのデータベースに過ぎず、ビジネスロジックはAIエージェント側に移行してしまう」と指摘した。
この発言に対する業界の反応は二分化している。元Salesforce幹部の投資家デイブ・ケロッグ氏は「SaaSの死は大げさに誇張されている」と反論し、「ドメイン固有の業務知識の価値を軽視しすぎ」と批判。一方で、ベンチャー投資家のサム・レッシン氏は「SaaSの時代は終わった。ソフトウェアはもはや独立したビジネスモデルではない」と同調している。
黒崎氏は、ナデラ氏の主張に部分的に同意しつつも冷静だ。「『Dead』かどうかだけになるとセンセーショナルすぎる。SaaSは死ぬわけではないが、データベースとしての価値が強まる」と分析。「処理ロジックが外部化し、AIエージェントサイドで自由に利用されてしまう」という点では完全に同意している。
黒崎氏のSaaS限界論の核心は、技術進歩がもたらした「皮肉」にある。「SaaS開発の難度は非常に下がった。AIコーディングによって、ジュニアエンジニアでもSaaSへの機能追加ができるようになった」(黒崎氏)
この変化が業界に与える影響を、黒崎氏はこう説明する。「異常な量の機能追加が低コストでできるようになる。結果として販売価格も下がり、激しい価格競争に巻き込まれる」。従来は高い技術力が必要だったSaaS開発が誰でもできるようになったことで、差別化要因が消失したというのだ。
黒崎氏はこれを「1年以内ぐらいに起きる」と断言し、その時期の近さを強調する。「各社全員同じ状況なので、激しい価格競争の中でプレイすることになる。顧客にとっては喜ばしいだろうが、SaaSを作って売るという付加価値は弱くなる」
さらに重要な変化として、ユーザーとシステムの関係性そのものが変わると予測する。「システムを操作するのは人間ではなく、AIエージェントが実行する時代に変わっていく。ユーザーがシステムにログインする時代は終わる」。ChatGPTオペレーターのようなブラウザ操作AIが実用化された2025年3月以降、この確信は強まったという。
「SaaS側にAPIがなかったとしても、データを集約して、人間のようにブラウザ上で操作し、業務処理をSaaS外のところで行うことが技術的に明確に可能になった」(黒崎氏)。つまり、SaaS企業がAPIを提供するかどうかに関係なく、AIエージェントが勝手にシステムを操作して業務を処理してしまう時代が到来したということだ。
この状況で残るSaaSの価値は何か。黒崎氏は「データベースとしての価値」と答える。「何もしないと、データ処理、データベースとしての価値だけになってしまって、処理部分に関してはAIエージェントレイヤーで全部持っていかれてしまう。業務処理が外部化される」
この分析に基づき、TOKIUMは従来のSaaSモデルからの脱却を決断した。「SaaSを作って売るという付加価値は弱い。見直さなければいけない」という結論に至ったのである。
TOKIUMがAIエージェント企業への転換を決断した背景には、日本が直面する深刻な構造変化がある。パーソル総合研究所の予測によると、2030年には644万人の人手不足が発生する見込みだ。出生率の低下により人口減少は避けられず、「既に地方の人口減少が始まっており、専門人材が地方を中心に流出している状況」(黒崎氏)にある。
一方で、AI技術は急速に人間の能力を上回り始めている。「4月にリリースされたChatGPT-o3は、東大生のIQを超えている」と黒崎氏は指摘する。
このギャップに着目し、SaaS業界全体で新たなアプローチが生まれている。マネーフォワードの辻庸介CEOは「デジタルツールを提供するマネーフォワードが、デジタルワーカーを提供するようになれば、企業は人件費に投資するよりこちらに投資した方がいい」と語り、市場規模もデジタルツール市場の2.2兆円からデジタルワーカー市場の13.3兆円へと大幅な拡大を見込んでいる。
黒崎氏も同様の発想転換を語る。「今までは限られた人の生産性を上げようという努力があったが、それはもういったん置いておいて、AI自体を労働力として認識して、デジタル労働力として採用する時代になる」。人を1人採用するのと同じように、AIを「デジタルの人」として認識し、東大生よりも優れた頭脳を並べていくという考えだ。
共通するのは、従来の「生産性向上」から「労働力提供」への転換である。既存の人材をより効率的に活用するのではなく、AIという新たな労働力を直接投入することで、人手不足そのものを解決しようという戦略だ。
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