とはいえ、実際のところ、AIエージェントはまだ人間を完全に代替できるまで進化しきってはいない。そんな中でTOKIUMがAIエージェントに全振りするのは、他のSaaS企業とは異なるオペレーションモデルを持っているところにある。
通常のSaaSはスケールさせることを最重視しており、サービスの中に人間が関わることを嫌う傾向にある。SaaSの魅力は、ほぼ固定費で運営でき、損益分岐点を超えると利益率が圧倒的に向上することにある。人間が関与すると変動費になってしまい、さらにスケールするためには採用と教育が必要になるためだ。
一方でTOKIUMは8000人もの人間をオペレーターとして抱え、請求書の電子化をOCR機能だけではなく人間が関わることで精度を上げることを強みにしてきた。このソフトウェアとオペレーターの両方を持つことが、SaaSから「エージェント企業」へ移行できる背景になっている。
この構造はAIエージェントをうまく活用するUPSIDERなども同様だ。中小企業向けの経理業務をAIを用いて丸ごと引き受ける「UPSIDER AI経理」を発表したUPSIDERも、ハイブリッド体制を採用している。森祐樹CPOは「世の中の全てのものがAIでできるわけではない。人とAIとが非常に効率よく共同作業ができるような業務プラットフォームを構築している」と説明する。
重視するのは、AIができるところまでやって、できなくなったら人間にバトンを渡す「細かいバトンリレー」だ。「エンドツーエンドで自動化することをそもそも考えていない。非常に効率よく細かく自動化できることが強みになっている」(森CPO)
ソフトウェア単体で全てを解決しようとする従来のSaaS思想よりも、人間とソフトウェアのハイブリッドモデルを使う方が、現時点ではAIとの相性は良いということだろうか。
同社はこのハイブリッド体制を「業務処理工場」として位置付けている。黒崎氏は「業務をTOKIUMにお願いと丸投げしていただくと、われわれ工場の中で、SaaSとか、派遣社員とか、バイトとか、オンラインのスタッフとか、AIとか、そういったものを組み合わせて成果だけを納品する」と説明する。
もう一つ注目すべきは、自社のSaaSを他社AIに開放する「ベンダーフリー」アプローチだ。多くのSaaS企業が自社製品にAI機能を追加して囲い込みを図る中、TOKIUMは正反対の戦略を取る。
「他社のシステムが入っていても、システムの入れ替えをすることなく、TOKIUMの経理AIエージェントだけを利用できるようにする」(黒崎氏)だけでなく、逆にTOKIUMのSaaSデータに他社のAIエージェントがアクセスできる仕組みも構築している。これはナデラ氏が予測した「SaaSはデータベースとしての価値が強まる」を先取りした戦略である。
従来のSaaS企業が「自社SaaSにAI機能を追加して差別化を図る」アプローチを取るのに対し、TOKIUMは「自社SaaSを開放してデータベース価値を提供する」という抜本的に異なる方向性だ。
この開放戦略により、TOKIUMは既存の顧客基盤を超えた市場拡大を狙っている。「主要なSaaS、主要なシステムは一通り対応可能で、オンプレミスのシステムであっても対応できる」(黒崎氏)という技術的対応力を背景に、企業がどのSaaSを使い、どのAIエージェントを導入しても、経理データの基盤部分でTOKIUMが機能する構図を目指している。
TOKIUMの事業転換は、SaaS業界の1つの方向性を示した。13年間で築いた顧客基盤とオペレーター体制を背景に、SaaSライセンス販売から業務代行サービスへの軸足移動は象徴的な変化である。
黒崎氏の「SaaS限界論」が現実となれば、他のSaaS企業も同様の選択を迫られる可能性がある。AIコーディングによる開発容易化、差別化要因の消失、価格競争の激化という構造変化は、TOKIUM固有の問題ではないからだ。
しかし、全ての企業が同じ道を歩めるわけではない。8000人のオペレーター体制や13年間の業務ノウハウの蓄積は、一朝一夕に構築できるものではない。多くの企業は「SaaSはまだ死んでいない、AIで進化する」という立場を維持するだろう。
UPSIDERのような新興企業も含め、AIと人間を組み合わせたハイブリッド体制を模索する動きが広がっている。従来の経理業務従事者への影響も予想されるが、リモートワークによる新たな雇用創出という側面もある。
TOKIUMの実験は始まったばかりだ。2030年までに2000万時間(1万人分相当)の経理作業を実行するという計画が実現するかは未知数だが、この挑戦の成否は日本のSaaS業界の一つの判断材料となるだろう。
この記事を読んだ方に AI活用、先進企業の実践知を学ぶ
ディップは、小さく生成AI導入を開始。今では全従業員のうち、月間90%超が利用する月もあるほどに浸透、新たに「AIエージェント」事業も立ち上げました。自社の実体験をもとに「生成AIのいちばんやさしいはじめ方」を紹介します。
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