元祖誕生の要因は2つある。ひとつは当時、同系車両が余っていたことだ。今から50年前の「交通公社の時刻表1976年7月号」(現JTBパブリッシング刊)の寝台特急のページを開いてみよう。前年に山陽新幹線が博多まで全通し、昼行特急は整理されたが、関西−九州間の寝台特急はまだまだ健在。同系での運行は「明星」「なは」「彗星」、名古屋発着の「金星」を含めて7往復もあった。しかし、その後の利用者減や合理化で本数は先細りしていき、昭和59年2月のダイヤ改正でついに全滅。多くの同系車両が運用から外れていた。
もうひとつの要因は当時、国鉄が進めていた「ダイヤ改革」だ。地方都市で列車の編成を短くして本数を増やす運行形態を導入。列車本数増加で多くの車両が必要になり、厳しい財政状況だった国鉄が考え出した策が、余っている581.583系車両を改造して運用に入れることだった。
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