ミスの原因を巡っては、1988年5月13日付の読売新聞朝刊は、ボーイング側の話として「作業員が指示書を読み違えた」と報じている。ボーイングが自社サイトから削除した内容とは齟齬(そご)がみられる。
産経新聞ではミスの原因の詳細、過去の報道との整合性についてボーイングに質問したが具体的な説明はなかった。ボーイングは「ご遺族の皆様には心よりの哀悼の意とお詫びを申し上げます。JAL123便を含むすべての事故から得た知見を決して忘れることがないよう、これからも努めてまいります」などとの声明を出し、回答とするとした。(織田淳嗣)
日航機墜落事故
1985年8月12日夕、羽田発大阪行きの日本航空123便が離陸12分後に異変が生じ、制御不能となった。コックピットの懸命の努力で機体はおよそ30分にわたって飛行を維持。羽田空港への帰還を目指したが同6時56分ごろ、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落。乗客乗員524人中、520人が亡くなった。旧運輸省航空事故調査委員会の報告書では、修理ミスで強度が弱まっていた圧力隔壁が当該フライトで破断し、機内の空気が機体後方に一気に流出、油圧全4系統と垂直尾翼などを吹き飛ばし制御不能となったと結論付けている。
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「JALとANA」どこで違いが生まれたのか? コロナ禍を乗り越えた空の現在地copyright (c) Sankei Digital All rights reserved.
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