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地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング新連載・「よなよなエール」流 ガチンコ経営(2/5 ページ)

現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。

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地ビールブームの波に乗る

 ヤッホーブルーイングの設立は1996年。創業者の星野佳路(現・星野リゾート代表)が米国留学時代に出会い感動したクラフトビールの味を日本にも紹介したい、広めたいという熱い思いが募っての起業でした。ビールは翌97年から造り始めたのですが、このころはいわゆる「地ビールブーム」が巻き起こっていて、全国各地で地ビールメーカーが数多く誕生していました。

長野県佐久市にあるヤッホーブルーイング醸造所
長野県佐久市にあるヤッホーブルーイング醸造所

 我々の看板ビールであり最初の製品でもある「よなよなエール」は、当時日本初の缶入り地ビールで、価格も最安値の248円(税別)ということもあり、世間の注目を浴び、発売当初からもの凄い勢いで売れていきました。

 私は創業メンバー7人のうちの一人で、当時は営業を担当していました。営業といっても、自分で言うのも情けないのですが、営業スキルは全くありませんでした。それでもブームに乗って売れていたので営業らしいことはせずに済み、もっぱら製造量よりもはるかに多い注文数を確認して、ひたすら次のような電話を掛けまくっていました。

 「現在ご注文が殺到し、いただいたご注文100ケースに対して30ケース程度しかお分けできません。本当にすみません!」こんなやり取りが日課でした。

 「地ビールって凄いな、こんなに売れるんだ」と若かりしころの私は感動していましたし、この状態がずっと続くと本気で思っていました。今振り返ると本当に世間知らずの甘ちゃんでした。

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