大半の社員から反感を買ったチーム研修、それでも続けてきた理由:「よなよなエール」流 ガチンコ経営(3/5 ページ)
ヤッホーブルーイングの社長に着任してから真っ先に取り組んだこと。それが社内の改革でした。チームビルディング研修を持ち込み社員の意識変革に挑みましたが、その道のりは決して楽なものではありませんでした。
繁忙期の研修スタートで問題勃発
社内研修は、TBPで学んだことを私が講師役として全く同じことをやりました。素人が講師役をやるのはかなり無謀ですが、漠然と自分ならやれそうな気がしていたのと、他に良いやり方が思い付きませんでした。そして「強制ではなく自ら手を挙げた希望者限定で行おう。これは一気に全員ではなく、変わろうとしている人から変わり、それを仕事現場に持ち帰り現場のスタッフも巻き込むという順序が一番良いのではないのか。急がば回れだ」、そう考えました。
全社に参加希望者を募ったところ、7人が手を挙げてくれました。私と合わせて8人の「よなよなTBP第一期生」です。私が受講終了した翌月の6月からさっそく研修をスタートさせました。しかし、20人程度の社員しかいないのに半分近くの8人も業務から抜けて研修を行うのです。その結果、さまざまな問題が起こりました。
TBPの活動を開始すると、全5日間の研修日だけでは時間が足りず、残業時間や業務時間を利用するほど活動が活発になってきました。ただ、この時期はビールメーカーの繁忙期である夏です。当然忙しいし、社員の半分近くが抜けているので会社は混乱しています。通常業務に支障をきたしたくないですが、TBPの活動は最優先課題なので譲れません。TBPに参加している人も、そうでない人も異常なほどの忙しさになってしまいました。
そうすると、TBPに参加していないスタッフからクレームが出始めました。「TBPのせいで自分たちに業務のしわ寄せが来ている」「仕事と関係ないTBPをやるぐらいだったら仕事をやってほしい」「夏の繁忙期になぜこんなことをやるんだ! 仕事が落ち着く冬にやってくれ!」「そもそもプライベートの時間にやってくれ!」など、怒涛のクレームの嵐です。
そんな中、一番大変であるTBP参加スタッフは全員、TBPの活動に加え繁忙期の業務を深夜までかけてこなしながら、歯を食いしばってこの混乱期を乗り切ろうと頑張ってくれています。こんな会社の状況を見ていて、本当に辛くて涙が出ました。本当にこんなことをしていていいのだろうか? 皆をこんな大変な思いにさせていいのだろうか? そんな迷いがありました。しかし、行き着く結論は結局いつも同じでした。
「もっと楽しい会社にしたい。成長を続けられる会社にしたい。もう倒産の心配なんかしたくない。仲間を辞めさせたくない。だから、俺は……絶対にあきらめちゃいけないんだ!」
私はクレームを言ってきたスタッフ一人一人に謝りながら説明しました。
「本当に皆にしわ寄せが行って申し訳ないです。ごめんなさい。でもTBPは今の会社に一番大事なことなんだ。チーム化がうまく進むと、きっと仕事も楽になるし、楽しくなるし、何より大きな成果も出てくるはずだ。成長している今、取り組まないとこのままではまた必ず不調な時期が来てしまう。そうなってからではもうTBPは取り組めないんだ。そして人数がまだ少ない今ならきっとうまくいく。信じてほしい」
でも当然ながら、誰も納得してくれません。それはそうですよね。社長である私がTBPに参加して何かに洗脳されたように行動が変わり、いきなりその変な活動を会社に持ち込んだわけです。そんなもので成果が上がるなんて誰も信じようがありません。本当に皆の言う通りです。でも、謝りながらも私にはこの信じた道を進めるしかなかったのです。
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