大半の社員から反感を買ったチーム研修、それでも続けてきた理由:「よなよなエール」流 ガチンコ経営(5/5 ページ)
ヤッホーブルーイングの社長に着任してから真っ先に取り組んだこと。それが社内の改革でした。チームビルディング研修を持ち込み社員の意識変革に挑みましたが、その道のりは決して楽なものではありませんでした。
売上高は年々30〜40%増に
こうなればしめたものです。ここから快進撃の始まりです。一番分かりやすい成果は業績です。
私が社長就任前の3年間の売り上げは前年比30%以上の伸びでしたが、就任した年は18%の伸びに鈍化し、TBPを始めた年とその翌年は2%、4%と前年割れをかろうじて逃れる苦しい状態でした。ところが、TBPを始めて3年目にはついに15%と復活の兆しを見せ、その翌年からは毎年30〜40%増という成長を遂げるようになりました。現在は11年連続で増収増益中です。
今振り返ってみると、チーム化に会社の命運をかけた凄まじい取り組みでした。社長のクビをかけた時間との戦いでしたが、ぎりぎりクビが繋がりセーフという感じでした。本当に運が良かった。危険な賭けでしたがよくあんな判断をしたものだと思います。今ならもう少しうまくやれたな、と反省点も多々ありますが(苦笑)。
私を執念の行動に駆り立てたのは、2000年初期のどん底の危機(関連記事)のような状態にもう二度と戻してはならないという強い責任感と、一緒に働いている仲間には楽しく幸せに働いてほしいという純粋な願いの2つだったのではないかと思っています。
まだまだ理想の形には遠いのですが、今では会社の雰囲気や業績はとても良くなり、ファンには私たちのビールを飲んで幸せです、と言っていただけるようになりました。本当に幸せなことです。よなよなエールとともに歩んだ19年間ですが、理想をあきらめずファンやスタッフにガチンコで挑んでいって本当に良かったと思っています。
これまで全5回の連載にお付き合いいただいた読者の皆さま、本当にありがとうございました。読んでいただき心からお礼申し上げます。
最後に、この連載に書ききれなかった私にまつわるエピソードをまとめた本を4月に発売しました。「ぷしゅ よなよなエールがお世話になります」です。まだまだガチンコ話を聞きたいという方はぜひお読みいただければ幸いです。
この連載を通じて、一人でも多くのビジネスパーソンの方が元気になり、何かの行動を起こすきっかけとなりましたらこんなに嬉しいことはありません。また機会があればお会いしましょう!
著者プロフィール
井手直行(いで なおゆき)
株式会社 ヤッホーブルーイング 代表取締役社長
1967年生まれ。福岡県久留米市出身。国立久留米高専電気工学科卒業。大手電気機器メーカーにコンピュータ周辺機器のエンジニアとして入社。その後、広告代理店等2社で勤務。1997年、ヤッホーブルーイング設立時に創業メンバーとして営業担当で入社。2004年、インターネットショッピングモールの楽天市場担当として一人でネット業務を推進。看板ビール「よなよなエール」を武器に業績をV字回復させた。全国200社以上あるクラフトビールメーカーの中でシェアトップ。現在11年連続増収増益中。2008年より現職。2016年4月に初の著書『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります―くだらないけど面白い戦略で社員もファンもチームになった話』を上梓。
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