夕張市がJR北海道に「鉄道廃止」を提案した理由:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)
JR北海道が今秋に向けて「鉄道維持困難路線」を選定する中、夕張市が先手を打った。市内唯一の鉄道路線「石勝線夕張支線」の廃止提案だ。鉄道維持を唱える人々は「鉄道がない地域は衰退する」「バス転換しても容易に廃止される」という。夕張市の選択はその「常識」を疑うきっかけになる。
夕張市にとって石勝線支線とは何か
8月8日に夕張市が「鉄道よりもバスの支援を」とJR北海道に提案した。
従来、鉄道路線廃止と言えば自治体が反対するという事例ばかりだった。夕張市の選択は報道でも「異例」という表現が目立った。国鉄時代、JR化後を通じて見ると確かに異例だ。第3セクターでは三木鉄道(兵庫県)が廃止派の市長の当選によって廃止された例がある。これも異例ではある。それにしても夕張市の決断は異例だ。鉄道は地域の財産のはず、それを捨ててもいいのか。
夕張市が廃止を提案した線区は石勝線の支線、新夕張〜夕張間16.1キロメートルだ。石勝線の千歳線の南千歳駅と根室本線の新得駅を結ぶ132.4キロメートルの幹線であり、札幌と帯広、釧路を結ぶ特急列車のために作られた。しかし、支線の新夕張〜夕張間は新夕張駅から分岐した行き止まり線である。普通列車が1日5往復だけ走っている。輸送量と運行本数から判断して、とっくに廃止対象になっても良い線区だった。なぜこの区間が国鉄の赤字問題のころから生き残っていたのか。そこには特殊事情の積み重ねがある。
元々、夕張〜新夕張〜追分間は「夕張線」という路線名だった。1892(明治25)年に北海道炭礦鉄道が追分〜夕張間を開業し、後に国有化された。建設目的は夕張炭鉱からの石炭輸送だ。室蘭本線を経由して室蘭港まで石炭を運んだ。しかし、主要炭鉱の閉山が相次いだため、1978年に石炭輸送は終了。夕張線はローカル線になった。
国鉄の赤字ローカル線廃止問題が議論されたころ、夕張線は対象にならなかった。存廃の検討期間に石炭輸送が継続し活況だった。そして石炭輸送が終了しても廃止されなかった。一部区間を石勝線に転用する計画があったからだ。石勝線は札幌と帯広、釧路を結ぶバイパスルートとして、1981年に開業した。千歳空港駅(現在の南千歳駅)〜追分間、新夕張〜新得間が建設され、追分〜新夕張間の夕張線が組み込まれた。
このとき、取り残された新夕張〜夕張間は独立した路線名にならず、石勝線の支線とされた。幹線特急が走る石勝線の輸送成績は良く、鉄道路線の存廃は路線単位で検討されたため、支線の成績も石勝線全体の成績の陰に隠れた。国鉄時代に廃線対象にならず、JR北海道になっても路線単位の成績管理では支線のみのリストアップはない。
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