えっ、「介護」って造語なの? 市場をつくった“生みの親”に聞く:水曜インタビュー劇場(アイデア公演)(4/6 ページ)
「フットマーク」という会社をご存じだろうか。東京の両国に拠点を置く、従業員60人ほどの会社だが、これまで2つの市場をつくってきた。1つは「水泳帽子」、もう1つは「介護おむつカバー」。一体、どのようにして市場をつくってきたのだろうか。
「介護」という言葉を商標登録
土肥: そこは興味深いですね。いまの時代だと、新商品を開発する前に、ターゲットはこういう人たちで、市場はこれくらいあって……といった感じで、あれこれ数字を調べて、「じゃあ、やってみよう」というケースが多いのに。
磯部: いまでは「要介護1の人は○○人」「要介護2の人は○○人」といった形で、全国に介護を必要としている人はどのくらいいるのかが分かります。でも、当時はありませんでした。正確な数字は分かりませんが、「近所におもらしで悩んでいる人がいるということは、全国にたくさんいるんじゃないか」という仮説を立てました。
土肥: なるほど。
磯部: 商品を発売することは決まったのですが、次にネーミングをどうするかに悩みました。「大きめのおむつカバー」という商品名ではよくないので、「病人用おむつカバー」にしました。しかし、よく考えてみると、おもらしをするって病気ではないですよね。あまりにもストレートな表現だったので、すぐに「大人用のおむつカバー」に変えました。
しかし、当時「おむつカバー=赤ちゃん用」という認識が強かったので、「大人用」と聞いてもピンとくる人が少なかったんですよね。次に「医療用おむつカバー」にしました。でも、これもしっくりきませんでした。「うーん、どうしようか」と悩んでいるときに、ふとひらめいたんですよね。「介助」と「看護」から一文字ずと取って、商品名に「介護」という文字を入れてみてはどうかと。
土肥: それで「介護おむつカバー」が誕生したわけですか。
磯部: はい。病人用おむつカバーを発売してから10年が経った1980年に、「介護おむつカバー」というネーミングにしました。ただ、これもしっくりきませんでした。いまでは「介護」という言葉は当たり前のように使われていますが、当時は「難しい漢字だなあ」という印象がありました。書きづらいし、字画も多いし。商品名は「できるだけ短く、分かりやすく」することが重要だと思っていましたが、1984年に「介護」という言葉を商標登録しました。
土肥: 当時、赤ちゃん用のおむつカバーは存在していました。しかし、介護用のおむつカバーはなかった。どのように売っていったのでしょうか?
磯部: 「町内会におもらしで悩んでいる人がいれば、全国に同じ悩みを抱えている人がたくさんいるはず」と推測して、商品を発売したわけですが、当初はなかなか売れませんでした。問屋さんに営業をして回ったのですが、当時は介護商品のコーナーはありませんでした。仕方がないので、ベビー用品や肌着などの隣に置かせてもらうことに。
土肥: なぜ売れなかったのでしょうか?
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