伊豆戦争が再び? 東急VS.西武の争いはそれほど悪くない:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/5 ページ)
東急グループの伊豆急行で新たな観光列車が誕生する。かつて伊豆や下田などをめぐって、東急グループと西武グループが争っていたが、今度の戦いはちょっと様子が違う。両社の沿線の人々にとって楽しみが増えて、両社の沿線の価値を上げる効果が大きい。
東急と西武を結ぶ「S-TRAIN」
伊豆急行と伊豆のリゾート開発は東急グループが深く関わっている。ここで、伊豆急行の成立に至るまでの東急グループと西武グループの歴史に少し触れておきたい。現在、伊豆半島は東側が主に東急グループ、西側が主に西武グループの“縄張り”だ。東側には東急グループの伊豆急行があり、西側には西武グループの伊豆箱根鉄道がある。しかし、西武グループも伊豆半島東側を狙っていた。そもそも伊豆の民間鉄道としては伊豆箱根鉄道の前身、駿豆鉄道が先に開業していて、伊豆の開発は西武グループが先んじていた。
実は、伊豆半島の鉄道は国営鉄道が建設する計画だった。1922(大正11)年に制定された改正鉄道敷設法に「静岡県熱海より下田・松崎を経て大仁に至る鉄道」が記載されている。大仁は修善寺の少し北側にあり、すでに駿豆鉄道の終着駅があった。明治時代、ここから下田港へ向かう請願が行われたという。この請願は叶わなかったものの、後に官営鉄道の計画が制定されたため、駿豆鉄道は大仁から修善寺に進路を向けた。
一方、国営鉄道の建設は伊東まで開通したものの、財政難からその先が進まなかった。そこで、東急グループの五島慶太氏が名乗りを上げ、子会社の伊豆急行を設立した。西武鉄道グループはこれを看過できず、ほぼ同じ伊豆半島東海岸に鉄道免許を申請する。しかしこれが却下されると、伊豆急行に先行して下田付近の土地を買収してしまった。
伊豆急行は下田まで海岸沿いを走る計画だったけれども、河津から山側に迂回(うかい)せざるを得なかった。地図を見ると、当初、伊豆急行が線路を敷こうとした海岸線には、現在もしっかりと下田プリンスホテルが建っている。東急VS.西武の名残だ。
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