岩谷のカセットコンロが今も売れ続ける理由:ロングセラー商品(2/4 ページ)
今では当たり前のように家庭で使われているカセットコンロを、業界で初めて発売したのが岩谷産業だ。もう半世紀近く前に誕生した商品だが、いまだに年間約70万台売れているという。そのワケとは……。
殺虫剤をヒントにガスボンベを小型化
業界で初めて岩谷産業が開発したカセットコンロの着想になったのは、スウェーデンの燃焼器具メーカー、プリムス(PRIMUS)が製造していた登山・アウトドア用のガスバーナーだった。元々、ヨーロッパでは登山がスポーツとして深く根付いていて、例えば、アルプス山脈で登山者が煮炊きしたり、暖をとったりする手段としてガスを燃料として使う習慣があった。
それを目の当たりにした創業者の岩谷氏は、持ち運び可能なこの製品とコンロを一体化できないものかと考えた。そうすれば、ホースを引かなくても食卓の上で手軽に鍋やすき焼きができる。
そこで取り組んだのがガスボンベの小型化である。それまで家庭でよく使われていたガスボンベは、小さいと言っても重さが1キログラムあるだるま式のものだった。しかも使用するには、販売店でガスを充填(じゅうてん)してもらい、家に持ち帰って、ホースにつなぐという手間がかかったのだ。その煩わしさから消費者を解放するために、既にガスが充填してあり、使い捨てできるガスボンベを作ろうとしたのである。ヒントにしたのが缶の殺虫剤だ。それから現在までガスボンベの形はほぼ変わっていない。
実は商品のアイデアに匹敵するくらい岩谷産業にとって大ごとだったのは、ビジネスモデルを一変させたことである。ガスを扱う会社にとって、ガスは容器に充填して顧客に販売し、空になった容器を回収して、充填、再び販売することで商売が成り立っていた。「当時のこの常識から考えて、容器は使い捨てで、回収しないというのは、相当大きな発想の転換が必要だったようです」と、岩谷産業 総合エネルギー事業本部 カートリッジガス本部 CS推進部の福士拡憲担当部長は述べる。
こうして1969年に発売となったカセットコンロだが、当初はあまり売れなかった。その理由は販路が限定されていて、町の金物屋、ガスの販売店などにしか置かれていなかったため、一般消費者への認知が著しく低かったからだ。そこで販路拡大に力を入れ、百貨店などへの提案を始めた。そして当時急拡大を遂げていた大型スーパーマーケットで取り扱いが始まると消費者の目に止まることとなり、一気に売り上げを伸ばしたのである。
また、1978年に発生した宮城県沖地震の際、被災地で備蓄燃料としてその必要性が発揮されたことによって、災害時に不可欠なアイテムとしての認知も高まった。
そうしたさまざまな要因によって、ガスボンベは83年に累計販売本数が1億本、カセットフーは翌84年に1000万台を突破した。
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