衰退一途の今治タオルが息を吹き返した“大事件”:伝統産業の復活劇(2/5 ページ)
愛媛・今治の地で100年以上前から続くタオル産業。長らく日本有数の産地として発展を遂げたが、1990年代に入ると中国産の安い製品に取って代わられるなど、生産量が激減した。そこからどのような復活劇を遂げたのだろうか――。
佐藤可士和氏に直談判
今治タオルの再興に向けて「もはや打つ手なし」と思われたが、地元関係者たちは諦めなかった。100年以上も今治の地で受け継がれてきたこの産業をなくすわけにはいかないからである。しかしその思いとは裏腹に、今治タオルの生産量は右肩下がりを続け、企業数や従業員数の減少にも歯止めが効かない状態となっていた。そんな折、中小企業庁が手掛ける「JAPANブランド育成支援事業」に今治タオルが採択されたのである。2006年のことだった。
JAPANブランド育成支援事業とは、地域の特産品や技術の魅力をさらに高めて、世界に通用するブランド力の確立を目指す取り組みを支援するものである。「今治ブランドの確立」を合言葉に、工業組合に加えて今治商工会議所、今治市が一丸となり、「今治タオルプロジェクト」がスタートした。
ただし、肝心な問題が1つあった。地元にはブランディングに長けた人材がいなかったのだ。そこで外部から招へいすべく白羽の矢が立ったのが、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏である。
すぐさま関係者は佐藤氏の元へ押し掛けるように訪問、本人に今治タオルのブランディングをお願いしたいと直談判した。一通り話を聞いた佐藤氏だったが、そのときは引き受けるつもりはあまりなく、ましてや今治タオルの存在もよく知らなかったという。
ところが、である。お土産にともらった今治タオルを使った瞬間、佐藤氏は衝撃を受けた。肌触りといい、吸水力といい、今まで使っていたタオルは何だったのかというほど、使い心地がまるで違ったのだという。こんな優れたコンテンツがあるなら、きっとうまくブランディングできるはず――佐藤氏はプロジェクトにかかわることを決めたのだ。
関連記事
- 南三陸町で躍動する小さな会社の大きな挑戦
宮城県南三陸町で65年以上も前から鮮魚店を運営するヤマウチ。現在はECなど事業の幅を広げている同社だが、東日本大震災で店や事務所、工場はすべて壊され、ゼロからのスタートを余儀なくされた。しかしその経験で社員の仕事に対する価値観は大きく変わった。 - 星野リゾート、ブランド作りの条件とは?
大阪・新今宮エリアに新たな都市観光ホテルの開業を目指すなど、その取り組みが注目を集めている星野リゾート。同社の経営トップである星野佳路代表に事業展望などを聞いた。 - 中川政七商店が考える、日本の工芸が100年先も生き残る道とは?
全国各地の工芸品を扱う雑貨屋「中川政七商店」が人気だ。創業300年の同社がユニークなのは、メーカーとしてだけでなく、小売・流通、そして他の工芸メーカーのコンサルティングにまで事業領域を広げて成功している点である。取り組みを中川淳社長が語った。 - 最初はまったく売れなかった明太子、どうやって福岡から全国区に?
日本で最初の明太子メーカーが、福岡市中洲に本社のあるふくやだ。創業すぐに明太子の販売を始めたが、実に10年間も鳴かず飛ばずだったという。そこからいかにして明太子は福岡の名産品にまで育ったのだろうか。 - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.