ガソリンエンジンの燃費改善が進んだ経済的事情:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)
ここ10年、自動車の燃費は驚異的に改善されつつあり、今やハイブリッドならずとも、実燃費でリッター20キロ走るクルマは珍しくない。なぜそんなに燃費が向上したのだろうか? 今回は経済的な観点から考えたい。
日本の躍進
そして、85年がやって来る。言わずと知れたプラザ合意だ。米国政府はかつての金の代わりとして円を指名したのである。ドルと円、つまり日米の財務当局は互いに協力して世界経済のためにドル円のレートを決めて維持する。言ってみれば、日本が米国の連帯保証人になったような形だ。
単純化して言えば、ドルの信頼性が円によって保証される体制が確立されたのがプラザ合意である。他国通貨はこの基軸通貨たるドル円レートの上に積み上げられる形でレートが推移する。戦後、国連憲章で敵国条項に規定されていた日本が、米国の無二のパートナーとして認められた瞬間でもあった。
さて、ここまで読むと、まるで米国だけが得をしているように見えるかもしれないが、逆もまた真なりで、円がドルの補完通貨となったことで、日本経済は、マーケットから米国経済の重要な調整要素と位置付けられたのである。そして世界の信頼を取り付けた円を求めて、世界中の投機マネーが日本に押し寄せバブルが始まるのである。
85年当時の日本を代表する産業と言えば、自動車と家電だ。89年にベルリンの壁が崩壊して旧東欧諸国がマーケットとして育つ90年代半ばまで、世界のマーケットとは要するに北米市場であり、北米市場で成功することこそが、企業を躍進させる原動力となった。
自動車の世界で言えば、GM、フォード、クライスラーがビッグ3になれた理由は北米市場を3分割するプレイヤーだったからだ。そこに進出したのは日本の自動車メーカーだった。特に70年代に北米で排ガス規制が強化され、また73年にオイルショックが起きて以降、日本車の低排出ガスと低燃費、そして高い信頼性が北米で歓迎され、80年代にはこれが日米貿易摩擦として表面化する。
日本の自動車メーカーは北米に工場を設立し、日本からの対米輸出ではなく、米国生産によって地元に経済還元することでこの摩擦を切り抜け、日本が北米にとって経済的パートナーであることを再び深く印象付けた。
さらに追い風になったのが世界中から集まった投機マネーだった。潤沢な資金に恵まれた日本の自動車メーカーは、自らの美点をさらに向上させるべく、研究開発を進める。
関連記事
- 日本車はガラケーと同じ末路をたどるのか?
最近、世間ではこんなことがよく言われている。電気自動車の時代が到来することによって中国車が台頭し、日本車はガラケーと同じような末路をたどるというのだ。果たしてそうなのだろうか? - トランプがゴリ押ししてもアメ車は売れない
「アメ車はダメだ」という声が日本人の多数派を占めるが、アメ車がダメだという点について筆者は部分的にしか同意できない。評価すべき部分もある。ただ一方で、日本などで売れない理由も明白だ。 - トランプ時代の自動車摩擦
米国大統領に就任直後のトランプ氏が対日貿易についての批判発言をした。「米国の自動車メーカーは日本で販売が増加しないのに、日本の自動車メーカーは米国に何十万台も輸出している」と言うのだ。トランプ政権による新たな日米貿易摩擦について検証してみたい。 - 10速オートマの登場、まだまだ消えないMT車
2016年も間もなく終わる。そこでこの1年を締めくくるべく、「週刊モータージャーナル」の連載記事で好評だったものをピックアップしたい。 - ヘッドランプの進化とLEDが画期的な理由
国土交通省は2020年4月以降に販売される新車から「オートライトシステム」の装備を義務付ける方針だ。そこで今回は、安全性を高めるためにクルマのヘッドランプがどのようなトレンドで変化してきたのかについて紹介したい。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.