ツインバード工業社長、V字回復までの“苦悩”を語る:赤字から躍進へ(2/5 ページ)
ヒット商品を多数生み出し、業績を伸ばしているツインバード工業。しかし、2000年代初期には5期連続赤字の苦境に陥り、会社は倒産寸前だったという。その時、リーダーはどう振る舞ったのか。同社の野水重明社長に聞いた。
「一番言ってはいけなかった言葉」が会社を変えた
いつも野水社長は人間関係を大切にし、部下にも敬語で語りかける。そんな彼を底知れぬ闇へと突き落としたのは、業績がマネジメントにも影響を及ぼしつつある事実だった。
「赤字が続くと、営業は小売店さんや問屋さんを訪ねても商品を売るどころでなく『おたく赤字じゃない。今後も継続的に商品を納入できるの?』などと問い詰められるんです。しかも『中国製ならもっと安いよ』と、毎日のように厳しいご意見にさらされます。すると社員は将来の展望が描けなくなっていきますよね」
野水社長は、何かを思い出したのか、うっすらと目を赤くし振り返った。
「一番こたえたのは、私と年齢が近く、付き合いも長かった営業の仲間が『これを』と退職願いを持ってきた瞬間でした。なんとか慰留したくてお酒を飲みに行くと、彼は、『いえ、もうダメなんです』と言い、次第に声をあげ、顔がとけるかと思うほど涙を流し始めたのです。私は、こんなに会社を愛してくれていた仲間にこんな思いを……と、ただただ申し訳なくて」
一緒に泣いたのだろう。そう、人には絶対になくしたくないものがあって、野水氏の場合、それが「頑張ってくれた社員」だったのかもしれない。涙は、野水社長の腹をくくらせた。父の元を訪ね、彼はついに決定的な一言を発した。
「『すぐに代表権を下さい』と言いました。一般的に事業承継の際は、1期〜2期程度は親子で共同代表を務めるものですが、私は『今すぐ私一人に』と言いました」
父は1週間ほど口を聞いてくれなかった。だが、息子を呼び一言、『俺もずっと生きられるわけじゃない。お前に任せる』と寂しそうに言った。
「それから、父は一切経営に口を出しません。後年、私は確かに会社を再び成長軌道に乗せました。しかし、必死の思いで育ててきた会社を自分以外の人の手に委ねた父の潔さを思うと、私はまだ、彼の足下にも及んでいないのでは、と思うのです」
「本来なら一番、言ってはいけなかった言葉」こそが、本当に必要な一言なのかもしれない。実際に、この言葉がツインバード工業躍進への号砲になった。
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