社長が語る 「いきなり!ステーキ」の“原点”とは:夏目の「経営者伝」(2/5 ページ)
2013年に銀座に1号店を出店し、2017年には187店舗を出店した「いきなり!ステーキ」――。創業者はペッパーフードサービスの一瀬邦夫社長だ。東証一部上場も果たし、店は有名になったものの、彼が熱血漢・人情の男であることはあまり知られていない。彼の成功法則について、2回に分けてお伝えする。
ステーキ王の原点
一瀬氏は戦争中の1942年の生まれ。母子家庭で貧しく、しかも母は病弱で、彼は子どもながら包丁を握り、よく母のためにみそ汁を作ったという。母が「今日のは格別だよ」と誉めてくれる時が、邦夫少年にとって最も幸せを実感する瞬間だった。多感な時期の一言は、聞いた人間の生涯を決定付けることがある。彼は高校を卒業し「もっと母ちゃんを喜ばせたい」と、東京・浅草の有名店のコックになった。
入社した初日にも、彼の生涯を決定付ける出来事があった。優しい先輩に「好きなものを食べていいぞ」と言われ、彼は人生で初めて食べるビーフステーキをねだった。ところが……。
「先輩は、あとで何か理由をつけ『ポークソテーにしなよ』と仰ったんです。すぐ先輩の気持ちは分かりました。ビーフステーキは僕の1カ月の給料と同じ、3000円だったんですよ。さすがにそれはまずいと思ったんでしょうね」
夢中で豚肉を頬張った。しかし一瀬氏はこのとき「いつか熱々のビーフステーキを心ゆくまで食べたい!」とも願った。そして数日後、彼は厨房で、お客さんに出さない牛脂の切れ端を焼いて食べた。
時代は高度経済成長の真っ只中だった。読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が天覧試合でホームランを放ち、プロレスラーの力道山が大活躍したのはまさにこの頃で、日本人はみんな「豊かになりたい」と願っていた。そんな時代を背負って食べた牛脂の味は、一瀬氏の心に突き刺さった。
「いやぁ……今も忘れませんよ。うまい、うまいなぁ! と、言葉も出なかったですね」
実は彼、人間くさいエピソードには事欠かない。その後、懸命に働いた一瀬氏は、30歳を前に独立し、東京・向島でステーキ店「キッチンくに」をオープン。店は繁盛したが、彼はこの時、遊びの味を覚えてしまったという。
好事魔多しとはよく言ったもので、店を終えるとついつい楽しげな店に足が向き、せっかくの資金を散財した。しかし、彼は頬を叩かれるより強烈なパンチを喰らう。
関連記事
- サイバーエージェント社長が明かす「新規事業論」
自ら事業を立ち上げ、会社を成長させていく起業家たち――。本連載では、そんな起業家たちの経営哲学に迫る。今回登場するのは、サイバーエージェントの創業社長、藤田晋氏だ。 - 藤田社長が「AbemaTV」に“ムキになる”理由
サイバーエージェントの藤田晋社長は、なぜ「AbemaTV」を立ち上げたのか。何を目指しているのか。前回に続いて、藤田社長の経営哲学に迫っていく。 - サイバーエージェント社長が実践する「強い組織」の作り方
サイバーエージェント、藤田晋社長の経営哲学に迫る連載。最終回は「組織作り」「マネジメント」を中心にお伝えする。藤田社長が子会社の経営を若手社員に任せる理由とは? - マクロミルをつくった“妄想家”の軌跡
自ら事業を立ち上げ、会社を成長させていく起業家たち。彼らはどのように困難を乗り越え、成功を手にしたのか。経済ジャーナリストの夏目幸明氏がその軌跡を追いかける。第1回はマクロミルの創業者、杉本哲哉氏の創業エピソードをお伝えする。 - 組織を引っ張るためには「夢を語るしかない」
自ら事業を立ち上げ、会社を成長させていく起業家たち。彼らはどのように困難を乗り越え、成功を手にしたのか。前回に引き続き、経済ジャーナリストの夏目幸明氏がマクロミルの創業者、杉本哲哉氏のエピソードをお伝えする。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.