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「あと3カ月で資金が尽きます」 “ステーキ王”を生んだ苦難と覚悟夏目の「経営者伝」(1/4 ページ)

2017年8月15日、ペッパーフードサービスは東証一部上場を果たした。1970年に誕生したたった12坪の店は大企業へと成長。だが、同社社長の一瀬邦夫氏は新たな目標を掲げている。「アメリカでチェーン展開し、全米制覇を目指す!」と言うのだ。一瀬氏の人物伝、第2回はズバリ「夢のかなえ方」だ。

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失敗なんて、当たり前! やりながら考える!

 前回お伝えした通り、ペッパーフードサービスの一瀬邦夫社長が最初の店を持ったのは1970年のこと。レストランやホテルのコックとして修業していたが、母にハッパをかけられ、次の1歩を踏み出したのだ。資金は退職金と借金。勤め先の社長が高齢で店を閉めたため、一瀬氏は冷蔵庫や椅子を譲ってもらい、自分の手で椅子にペンキを塗って、冷蔵庫を磨き上げた。場所は東京下町・向島。カウンター4席、小さなテーブルが2卓、計12席の小さな店で、メニューはカツや洋食、名は「キッチンくに」とした。

 店は流行ったが、やはり失敗もあった。ステーキを出したのだが、「下町だからこの価格で……」と安さを優先した肉を選んだため人気が出なかったのだ。

 ただし、一瀬氏にはちょっとした特徴がある。

 「僕は事業に関してはしつこいんです。失敗なんて、当たり前! やりながら考える! これしかないんですよ」

photo 東証一部に上場を果たし、メディアの取材に応える一瀬邦夫氏

 1年後、再びステーキに挑戦した。今度は和牛を使い、ステーキソースもオリジナル。価格は高くなったが「自分が食べたいステーキ」だった。これが、またしても失敗に終わった。だが、事業の神様は、多分、努力をする者に優しい。

 ある日、ふらっと来た旦那が、最高級の和牛ひれステーキに舌鼓を打った。気に入ってくれたらしく、次第に何人前もテイクアウトしてくれるようになった。聞けば、当時大人気だったボーリングの仕事をしているらしい。一瀬氏は「そうか、自信を持っていいのか」と店舗の前に「ステーキくに」と大書した幟を立てた。出前のオートバイにも同じ旗を立てた。これが、のちの「ステーキ王」誕生のきっかけだった。

 彼がこの時の成功を振り返って、大変にシンプルな言葉を口にする。

 「そもそも人生なんて失敗の連続なんです。だから、へこたれちゃダメ! いつも笑顔!」

 シンプルすぎる。しかし、もしへこたれていたら今の「ステーキ王」はいなかったに違いない。

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