登山家・栗城史多さんの死の意味を問う 冒険家の阿部雅龍さん:「美談」で片付けられないわだかまり(4/4 ページ)
登山家・栗城史多さんの死に冒険家・阿部雅龍さんがざらつく思いを語った。周囲の期待に応え過ぎたかもしれないとみる一方、「責任はあくまで彼自身にある」と話す。
「自分は登山家じゃない」と言い出せればよかった
ただ、彼がエベレストの登頂で難易度を上げていったのは不可解です。勝てない試合をしにいくのはとても怖いはず。それができるというのは、僕には分からない。
僕は冒険でも準備とトレーニングを重ね、ある程度成功すると確信を得てから遠征に行く。スポーツの試合もビジネスでも同じことでしょう。全く勝てないと思ってるビジネスプランを実行する人はほとんどいません。冒険にはリスクがたくさんありますが、リスクヘッジを行ってから取り組むものです。
経営者と同様、やはり行動の責任は冒険家や登山家、その人にあります。誰にアドバイスもらったからだとかは言えない。ただ、彼の背負っていた責任が自分でもコントロールできないほど大きくなっていたのかもしれない。
――栗城さんが心理的に逃げられなくなっていた可能性もあると。
彼は「自分は登山家じゃない」とどこかのタイミングで周囲に言ってしまえればよかったのかもしれない。僕も、あえてメディアには「夢を追う男」と自称してます。冒険家と言うと、世間の人は冒険家らしさを求めてくる。そういうときは、「人力車夫もやってる夢を追う男です」などと逃げられる。
登山でも冒険でも、どこかで違う肩書と切り替えることができたらよかったのに、と思います。そこを切り替えられなかった彼は硬派。でも、1つの物事に執着し過ぎるのはよくない。そもそも、彼のゴールはエベレストの無酸素登頂ではなかったはず。否定の壁を壊すとか、挑戦を共有するということだったはずです。
僕も北極でホッキョクグマにテントを蹴られたり、アマゾン川でマラリアにかかって幻覚を見たりなど冒険で何度も死にかけました。それでも生還できたのは、冒険家の恩師に「死ぬくらいなら帰ってきて皆に頭を下げた方がいい」と教えられたからです。
今回の事故は、良くも悪くも後世に残していかなくてはいけない。彼が山で亡くなることは誰も望んでいなかった。やはり、冒険家や登山家、そして経営者なども同じく「わがまま」でなくてはいけないと思います。経営者が社員全員の声に耳を傾けても駄目でしょう。何より、周りを気にして自分をゆがめたら自分の人生を生きているとは言えないのです。
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