600年以上続く沖縄・竹富島の祭りに、廃れゆく地域が習うべき姿があった:小さな南の島の文化(1/7 ページ)
竹富島で600年以上も前から毎年行われている「種子取祭」をご存じだろうか。この祭りと、それを作り上げる島民たちから、日本のほかの地域が学べることは多い。
東京から南西に約1950キロ――。羽田空港から国内最長路線となるのが、沖縄県の南ぬ島 石垣空港である。直行便の飛行時間は3時間15分。距離は東京〜北京(中国)とほぼ同じだ。
その空港から石垣島の港までバスで約30分、さらにフェリーに10分ほど乗って海を渡ると、サンゴ礁が隆起した周囲約9.2キロメートルの小さな島に到着する。竹富島である。
人口は350人程度。信号機もない、コンビニもない。日が沈むと真っ暗になるような島だが、観光客はこの数十年で急増。1989年(平成元年)に8万6000人だったのが、2014年には51万人を超えた。石垣島から最もアクセスが良いので気軽に日帰りできることや、八重山諸島を周遊できる船のチケットが充実したことなどが背景にある。
観光客だけではない。人口も1993年ごろを底に、増え続けている。2018年9月末で351人と、10年間で20人ほど増えた。県外からの移住者も多い。
この竹富島は、神々が宿る島だと言われている。なぜだろうか? 八重山諸島の中で最初に神がつくった島という言い伝えも然ることながら、島内には至るところに御嶽(オン)と呼ばれる祭祀の場がある。この島で神に祈りを捧げる祭礼の数は年に約20回もある。
中でも最も盛り上がるのが、毎年秋に全島を挙げて行われる「種子取祭(タナドゥイ)」だ。600年以上も前から続く竹富島の伝統行事で、国の重要無形民俗文化財にもなっている。
旧暦9月または10月の庚寅(かのえとら)、辛卯(かのとう)の両日を中心に、9日間かけて五穀豊穣と子孫繁栄を祈る。なぜなら竹富島は痩せた土地で農作物が育たないからだ。昔から米などは近隣の西表島などから仕入れるしかなく、主食は粟や芋だった。台風も頻繁に来る。そうした不利な環境だからこそ、なおさら豊作を願う人々の信仰心が強まったのは言うまでもない。
18年の種子取祭は10月19日〜27日に開かれた。この期間は観光客に加えて、竹富島の出身者が続々と帰省してくる。島にやって来る人々の数はトータルで数千人とも言われる。
そしてまた、出身者はただ故郷に帰ってくるだけではなく、大半は踊りや演奏などで種子取祭にかかわることになる。舞台に上がることができるのは島の誉れ、誇りでもあるのだ。
驚いたのは、観光客も祭りを形作る一員として参加することが半ば“常識”となっている。
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