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600年以上続く沖縄・竹富島の祭りに、廃れゆく地域が習うべき姿があった:小さな南の島の文化(2/7 ページ)
竹富島で600年以上も前から毎年行われている「種子取祭」をご存じだろうか。この祭りと、それを作り上げる島民たちから、日本のほかの地域が学べることは多い。
観光客も一団に加わるユークイ
その代表例が7日目夜に行われる「世乞い(ユークイ)」。これは神の使いである神司(かんつかさ)を先頭に100人前後が「道唄」を歌い、太鼓と銅鑼などを鳴らしながら、島内の3つの集落(東集落、西集落、仲筋村)の家々を回り、儀式を行うというもの。この“夜回り”は種子取祭を統一した根原金殿をまつる根原家から始まり、その後は各集落に分かれて深夜まで行われる。
そして翌日の午前5時、3集落に散ったユークイの一団は根原家に再び集まり、ユークイの終わりを告げる「ユークイ留め」を行なう。その後、種子取祭の中心場所である「世持御嶽」に一団が戻って来るのだ。
大勢の観衆や演者が見守る中、神司たちが遠くからゆっくりと歩いてくる場面は、種子取祭のハイライトの1つである。
種子取祭のメインは7日目、8日目の奉納芸能だ。世持御嶽に設置された特設舞台において、両日とも午前8時ごろから午後5時ごろまでぶっ続けで行われる。2日間で実に80ほどの演目が披露されるのだ。演目は大きく分けて「踊り(ブドゥイ)」と「狂言(キョンギョン)」の2種類。演目は初日に決められ、その内容は毎年変わる。
会場は多数の立ち見が出るほどの盛況ぶりで、老若男女が舞台を見守っている。子どもたちの席もある。どうやら種子取祭の期間は、島にある唯一の学校、竹富小中学校は授業が休みのようだ。まさに島民全員参加の大イベントである。
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