沖縄・コザの街のシャッターが少しずつ開き始めている理由:ロックの街に何が?(1/4 ページ)
ロックの聖地として知られるコザ(現在の沖縄市)。基地に隣接する街であることもあって、かつては戦争特需で空前の好景気が訪れた。しかし、その後の衰退によって、中心街はシャッター店舗だらけになってしまった。そうした中、数年前から徐々に街が活気付こうとしているのだ――。
「コザ」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
沖縄本島の中部、嘉手納基地に隣接する沖縄市は、かつてコザと呼ばれていた。日本では珍しいカタカナ表記だが、その語源については、米軍が古謝(こじゃ)という地名を読み間違えたなど諸説ある。
コザは古くからロックの街として知られ、日本を代表する伝説のハードロックバンド「紫」などを生んだ。時を同じくして、ベトナム戦争による好景気が到来し、街は大変なにぎわいだったという。
そんなコザは、日本復帰後の1974年に美里村と合併して沖縄市になったが、中心街である胡屋(ごや)には、今もなお数多くのライブハウスが軒を連ねており、週末の夜などには多くの米軍兵が街を闊歩し、ロックやジャズ、ブルースなどの音楽に熱狂する。また、毎年旧盆明けに市内で開催される「沖縄全島エイサーまつり」には、約30万人の観光客が押し寄せ、エイサーと呼ばれる沖縄の伝統的な踊りなどを楽しむ。
しかしながら、普段の街の様子はもの寂しさを感じる。90年代初頭のバブル崩壊によって全国の地方都市と同様、沖縄市の景気は冷え込んだ。繁盛していた目抜き通りの店は次々とシャッターを下ろし、商店街の人通りは少なくなった。例えば、市の完全失業率も高く、2015年の国勢調査では7.17%と、沖縄県全体(6.32%)よりも大きい。
一方で、沖縄市の人口は増え続けており、現在は14万人を超える。しかし、市の面積の大半は基地が占めているので、市民の住宅は郊外に広がっている。そのため郊外エリアの人口は増える半面、中心部は減少している。近隣に「イオンモール沖縄ライカム」のような大型ショッピングモールがあることも、街中に来て買い物をしたり、食事をしたりする機会をなくしているのかもしれない。
このように独特の歴史と文化を持ちつつも、地方都市の典型的な姿を映し出している沖縄市に今、起業を志す人、あるいはベンチャー支援に関心のある人などが集まって来ている。それが地元の景気にも良い影響を与え、少しずつ街全体が活気付こうとしている。そのうねりの中心的な存在と言えるのが「スタートアップカフェコザ」だ。
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