600年以上続く沖縄・竹富島の祭りに、廃れゆく地域が習うべき姿があった:小さな南の島の文化(3/7 ページ)
竹富島で600年以上も前から毎年行われている「種子取祭」をご存じだろうか。この祭りと、それを作り上げる島民たちから、日本のほかの地域が学べることは多い。
うつぐみの精神
記者は今回、竹富島に初めて訪れ、種子取祭を目の当たりにして感じたことがある。
それは「オープン」ということだ。日本では大小さまざまな祭りがあり、基本的にその多くは開かれたものではあるが、単に外から鑑賞するものと、主体的に参加できるものでは、意味合いがまるで異なる。規模が大きかったり、神聖度合いが強くてディープだったりするほど、フラッとやって来た観光客が参加するのはハードルが高い。しかし、種子取祭はそれが可能なのだ。
これは竹富島の精神である「うつぐみ」に由来する。
「かしくさや うつぐみどまさる」(一致協力することが何よりも大切である)
島の偉人、西塘(にしとう)の遺訓とされる言葉で、今なお島民たちはこれを心に抱いて、お互い助け合いながら生きているという。
実際にユークイに参加して思ったのは、いくら習わしだからといって見ず知らずの大勢の観光客までを自宅に上げて、ピンダコ(ニンニクとタコ)や泡盛を振る舞うというのはなかなかすごいことである。つまり、参加した以上は知らない間柄ではなくなり、一致団結する仲間として見るということなのだろう。
この独特の考え方は、日本のほかの地域、特に衰退著しい地方にとって生き残るための術(すべ)になるのではないかということである。
これを単にその土地の伝統文化だという一言で片づけてしまうか、何か見習えるところがあるのではないかと捉えるのでは、大きな差が生まれる。
そんな竹富島の本質を知るためには、近年の出来事にも触れておく必要があるだろう。
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