600年以上続く沖縄・竹富島の祭りに、廃れゆく地域が習うべき姿があった:小さな南の島の文化(4/7 ページ)
竹富島で600年以上も前から毎年行われている「種子取祭」をご存じだろうか。この祭りと、それを作り上げる島民たちから、日本のほかの地域が学べることは多い。
売らない、汚さない、乱さない、壊さない、活かす
1972年、沖縄が日本に復帰すると、さまざまな企業が商機を狙って沖縄にやって来た。竹富島も例外ではなく、結果、リゾート開発などのために2〜3割の土地が本土企業に買い占められたのだ。
先祖代々守ってきた土地を手放した島民にもいろいろな理由があるが、多くは資金を得ることが目的だろう。このエピソードを聞いたとき、沖縄の音楽グループであるネーネーズが歌う「黄金の花」がふと頭に浮かんだ。黄金で心を捨てないでほしい、いつか黄金の花は枯れるのだからと――。
しかし、そこから竹富島の島民のエネルギーがすごかった。土地を取り戻す運動を起こすのだ。とはいえ、決して簡単なことではない。島民は資金集めに奔走した。
そうした最中に生まれたのが「竹富島憲章」である。
これは、土地の買い占め業者などから島を守るための4原則である「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」を定めた「竹富島を生かす憲章案」(72年制定)をベースに、自然・文化的景観を観光資源として「活かす」を加えた5つの基本理念をはじめ、島の伝統文化を守る精神などがうたわれている。
この憲章が制定された翌87年には、竹富島の集落が国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。これによって建物の修理や新築などを行う際には、事前に国へ届け出を行い、許可を受ける必要性が生じた。つまり、自由に開発できなくなったである。土地を勝手に売ることはできないし、移住者も基本的には空き家に入る。借りて、また返す。その循環だ。
こうした取り組みによって、多くの企業は土地の売買を諦め、さらには土地を取り戻し、島は守られたのだ。
一見するとこのような運動は保守的であり、いかにも地方的だと思うかもしれないが、先述したように、竹富島に根付く風土はオープン性である。独立心や自治精神が強い地域だと、通常はよそ者を排除することが往々にしてあるが、島のしきたりの中で生きるのであれば、竹富島は受け入れてくれる柔軟さがあるのだ。
2012年に開業した星野リゾートの「星のや 竹富島」で総支配人を務める羽毛田実氏も、竹富島の間口の広さを強調する。
「竹富島は外から入ってくる人たちに対しても間口が広いと思います。その上で、きちんと信頼関係を築いていけば、認めてもらえるようになるのです」(羽毛田氏)
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