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どん底から復活したメガネスーパーは、なぜ「安売り」と決別できたのか8年連続赤字企業を救った戦略(1/4 ページ)

わずか数年前、倒産寸前まで追い詰められていたメガネスーパーの「V字回復」が注目を浴びている。どのようにどん底からはい上がったのか。失敗と復活の背景には、眼鏡業界のビジネスモデルの変化を踏まえた戦略の転換があった。詳しく解説する。

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あの企業はなぜこの数字にこだわるのか:

 出店数、品ぞろえの数、値付けなど「会社の数字」から企業の本当の狙いをあぶり出す。「あの企業はどうしてこんな戦略をとったのか」ということを、数字の裏付けも踏まえながら分かりやすく紹介する。

連載第1回:営業利益率を犠牲にしてまで鳥貴族が店内串打ちにこだわる理由

連載第2回:松屋と吉野家でこれだけ違う 「もうかる立地」の方程式とは?

連載第3回:回転すしの廃棄率は? くら寿司が「3%」に抑えられるワケ

連載第4回:どん底から復活したメガネスーパーは、なぜ「安売り」と決別できたのか

連載第5回:低迷していた「カルピス」が、右肩上がりの再成長を遂げた理由


 8年連続の赤字、倒産寸前まで追い詰められたメガネスーパーの「V字回復」が大きな注目を浴びている。

 苦境から一歩抜け出したのは、9期ぶりに黒字転換した2016年4月期だった。その後も、スピードを緩めることなく再成長へと突き進んでいる。既存店売上高は、18年10月まで33カ月連続で前年超え。18年5〜10月の上半期は前年同期比20%増と足元も好調だ。

 メガネスーパーはどのようにどん底からはい上がったのか。眼鏡業界のビジネスモデルに着目して解説する。

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メガネスーパーはどのようにV字回復を成し遂げたのか(写真は高田馬場本店)

「レンズ付きワンプライス」の落とし穴

 そもそも、メガネスーパーはなぜ苦境に陥ったのか。

 1973年の設立以降、長年にわたって業界をけん引してきた。眼鏡を買う場所といえば個人店や百貨店だった時代に、ブランド品を大量に仕入れて販売するチェーン店の展開を開始。テレビCMなど積極的な情報発信の効果もあり、一気に知名度を上げ、売り上げを伸ばした。かつてのCMが記憶に残っている人も多いだろう。

 店舗網を全国に広げ、ピーク時の2007年には売上高380億円、540店舗を展開していた。

 ところがその直後、急速な事業環境の変化に直面する。低価格でファッション性の高い商品を販売する「JINS」や「Zoff」などSPA(製造小売り)のビジネスモデルが存在感を強めていた。このことが業績悪化の環境的な要因だと言われているが、「実はそれだけではない」と、営業統括本部シニアマネジャーの斎藤満氏は明かす。

 なぜかというと、SPAメーカーの商品とは価格帯が異なるからだ。メガネスーパーにより大きな影響を与えたのは、業界大手のメガネトップが06年に展開を始めた「眼鏡市場」。メガネスーパーの競合となる中価格帯(3万〜5万円程度)商品をそろえる店舗で、新しいビジネスモデルを打ち出した。それが、「レンズ付き」のワンプライスだ。

 眼鏡の価格はフレームとレンズの料金を合わせたものだったのが、レンズが「無料で付いてくる」という、顧客にとっては分かりやすい価格表示に。それによって価格は大きく下がり、この価格を打ち出す店舗が顧客の支持を得るようになった。

 メガネスーパーの失敗は、そのビジネスモデルにやみくもに追従してしまったことだ。競合他社はコストや客数を緻密に計算し、利益が出る仕組みを構築した上で「レンズ付き価格」を打ち出して成功していた。一方、メガネスーパーは顧客が増える見通しもないまま、一斉に在庫商品を値下げしてしまったのだ。「自滅した」(斎藤氏)格好だ。

 競合からは一気に突き放され、坂を転げ落ちるように業績が悪化。11年には債務超過に陥り、上場廃止の危機に。倒産寸前の12年、経営権は創業家一族から投資ファンドの手に渡った。

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