「絶対に一流店にしてやる」という気負いが店をダメにする 落ちぶれた店で“鮨職人”が見失っていたもの:蒲田 初音鮨物語(2/4 ページ)
勝が跡を継ぐ直前まで、極めて落ちぶれた状況だった初音鮨。“鮨職人”が見失っていたものは何だったのか。
東京オリンピックで吹き始めた逆風
転機は、1964年の東京オリンピック開催だった。
オリンピックで各国の要人、記者、観光客に対して、“目覚ましい戦後復興を遂げ、安全で美しく衛生的な街となった東京”をアピールすべく、国を挙げての東京都全体の開発――いや、大改造計画といった方がいいだろうか――が実施された。オリンピックを前に、新しい日本を世界中に見せるべく、東京中で“突貫”での大改造が施され始めたのだ。
初音鮨がある蒲田の街も、その例外ではなかった。駅前を中心にした区画整理が進められ、“三丁目の夕日”の向こう側に建設中の東京タワーが見える頃には、駅前の再開発によって、初音鮨は、賃借していた建物の使用権を突如失ったのである。
「そんな不条理なことがあるのか?」と、現代の感覚ならば、“ありえない”と思うかもしれない。しかし、当時は決して珍しい話ではなかった。
駅前の店舗は、蒲田西口郵便局長だった大家の持ち物だった。ところが、この大家の家にあるやむを得ない事情が発生し――権利を主張できる契約書の一つもない状況で、駅前の初音鮨は営業権を突如失ったのである。
勝の祖父・金太郎が若い頃に店を任され、その立ち上げに奮闘していた当時、実はこの郵便局長には、いたくお世話になっていた。そのため、金太郎は文句一つ言わず、最高の立地にあった駅前の本店を、何の補償も受け取らないまま明け渡すことを決める。
国が主導した再開発において、人と人とのつながりなど、何の抵抗力にもならない時代だった。しかし、治次が目をつけた蒲田の発展と、駅前店舗で得られた利益は、駅から多少遠く、商店街からも一本はずれた場所にあるとはいえ、金太郎に80坪の土地と建物をもたらしていた。
こうと決まった以上は、仕方がない。金太郎は、仕込み用の調理場と住み込みの従業員の部屋、宴会場、それに自分たちの住居が混在していた80坪の屋敷を、こぎれいに整備し、そこを新たな店舗と定めることにする。
さらなる再開発が何度も行われ、巨大なビルが建ち並び、ゴチャゴチャした密集感が消えてひらけた空が見えるようになった現在でさえ、「へぇ、初音さんって、こんな外れた場所にあるんですね」と多くの人が思う、駅から少し遠い、決して好立地とはいえない場所。それもそのはず。元からここで営業する予定などなかったのである。
明治から大正期にかけて躍進した日本。その日本とともに発展してきた蒲田と初音鮨にとって、この移転は、初めて迎えた逆風だったといえるかもしれない。戦後の日本が大きく動き始め、再び成長軌道へと向かう中、かつての華やかさを蒲田が失っていくのと同じように、その逆風から金太郎の店も勢いを失っていく。
金太郎は、かつての駅前店舗の活況ぶり、伸びゆく日本の景気から、楽観視をしていたのかもしれない。
広い土地に、大きな建物。場所は悪くなったとしても、大正時代から続けてきたなじみの鮨屋である。きっと駅から離れていても、蒲田を支える町工場からの出前注文、宴会予約は、絶えることがないはずだ。
しかし、その初めての逆風は、その後の苦難の時代の始まりでしかなかった。
少しばかりの逆風だと思っていた風は、やがて嵐となり、蒲田 初音鮨の勢いを削いでいく。いや、嵐という言葉だけでは言い表せない。「坂道を転げていく、最初の第一歩」だったと表現すべきだろう。
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