「絶対に一流店にしてやる」という気負いが店をダメにする 落ちぶれた店で“鮨職人”が見失っていたもの:蒲田 初音鮨物語(3/4 ページ)
勝が跡を継ぐ直前まで、極めて落ちぶれた状況だった初音鮨。“鮨職人”が見失っていたものは何だったのか。
時代が育んだ“勝”少年の心
代々、その業を受け継ぎ、地元と密接に関わりながら商売を続けてきた堅実な鮨屋である。場所は悪くとも、元からその腕と人柄を見込んだ客は数多くいた。
どんな街にも一軒ぐらいはある鮨屋。「今日はごちそうだな」と言いながら、電話で出前を取るなら「あそこしかない」店。そう思う地元客が注文を入れれば、しっかりとした仕事で鮨を握ってくれる街の鮨屋。
それが、緩やかな斜陽を迎え始めた蒲田の街にある、蒲田 初音鮨だった。
後に四代目となる勝が生まれたのは、1963年(昭和38年)4月11日。勝が生まれ育った時期は、日本の戦後高度成長期(1955〜1973年)に重なる。勝が生まれた翌年には東京オリンピックがあり、1970年の大阪万博の時、勝は小学1年生だった。
そんな勝の少年時代。戦後、奇跡的ともいえる復興を遂げた日本ではあったが、高度成長期はもはや終盤に差し掛かり、まだまだ多くの家庭が貧しさの中にあった。多少恵まれた家があったとしても、多くの家庭はまだ豊かになる途上にあった。
当時の東京は、山の手にお屋敷町がある一方で、下町には大家族の住むお風呂のない狭く小さい住宅が多くあった。豪邸から数十メートルしか離れていないアパートには、母親たちが乳飲み子を抱えて家事の合間に内職で家計を支えている家がある。そんな風情が行ったり来たり、くり返し出てくるのが、他の都市にはない江戸・東京の特徴だった。
貧しさと豊かさが折り重なる当時の東京だったが、今よりも牧歌的な雰囲気が強くあったのは、日本全体の経済が上向きであることを皆が確信できていたからだろう。
缶入り飲料がほとんどなかったこの頃、コカ・コーラは、何度も使い回せる瓶に詰められていた。瓶代10円を除くと、飲み物の価格は35円。意外に安いと感じるかもしれないが、当時のコカ・コーラは、今よりずっとぜいたくな飲み物だった。
その価格は、1972年には40円、翌1973年には50円へと立て続けに値上がりし、人気たばこのハイライトは、1975年に80円から120円へと一気に値上げ。物価は上がるのが当たり前、給料も上がるのが当たり前の時代だった。
二度のオイルショックで市場に混乱が起き、原材料やエネルギーのコスト上昇による急激な物価上昇があったものの、それでも前向きな経済、所得増加の見通しが、皆の将来への希望を生み出していた。現在の日本にはない、「成長するのが当たり前」という前向きな空気感が当時の日本人の心を明るいものにしていたのである。
高度成長期やバブル期を経た現在でこそ、畑や田園、小さな工場などが住宅地へと姿を変え、街の様相も様変わりした東京ではあるが、江戸から続く東京の街は、今も山の手と下町が、極めて狭い地域で交互に折り重なる、世界的に見ても珍しい都市構造を残している。
勝が育った時代の東京は、急速に豊かになっていく日本社会の中で、豊かさと貧しさとを一つの視点から同時に見渡せる都市であった。
その後、日本は急速に「一億総中流」といわれる時代に入っていくが、当時はまだ“どんどん豊かになっていけるのではないか”という期待感と、“社会全体の豊かさから置き去りにされ、相対的に貧しくなっていく足元”への寂しさが、庶民の心中でないまぜになっていた。
「どのようにすれば、自分自身が這い上がっていけるのか」「より頑張っていけるのか」「自分を育ててくれた家族の生活の質を、どうしたら高められるのか」――そんな、誰もが前向きになれる頃に、豊かさと貧しさの双方を見渡せたことが、この時代の少年たちをたくましく、野心的にしたのかもしれない。
そんな、誰もが「まだまだ“これから”」という伸びしろを感じていた時代――蒲田で育った勝は「なぜ、俺の名前は、“かつ”なんだろう? いったい何に勝つって言うんだろう?」と自問自答する少年だった。そんな勝少年は、“正義は勝つ”という子どもらしい心から「いつか世の中で正しいことをやろう。そのために、どんな努力でもしよう」という意志を強く持った、負けず嫌いな子どもだった。
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