2015年7月27日以前の記事
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「表現の自由」を企業がどこまで守るか 8chan、愛知芸術祭に見るリスクと責任世界を読み解くニュース・サロン(2/5 ページ)

愛知県・国際芸術祭の展示中止問題で「表現の自由」を巡る議論が盛り上がっている。米国でもネット掲示板「8chan」が一時停止に追い込まれた。企業の事業や自治体のイベントにも、表現の自由を巡るリスクが隠れている。どのように扱うべきだろうか。

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バランス感覚を失った“芸術監督”

 本題に行く前に、まず、同じジャーナリストという肩書で仕事をしている者として、芸術監督を担当したジャーナリスト、津田大介氏の今回の「活動」について少し触れたい。

 「表現の自由」は民主主義の根幹をなすものであり、国民に与えられた基本的人権である。日本では誰でも、ヘイトスピーチや脅迫などを除けば、基本的に表現する権利を持つ。強権的・独裁的な国家とは違い、安易に制限されるものであってはならない。表現の自由が制限されることも、検閲も許されない。

 その一方で、津田氏はジャーナリストという肩書の人が求められる役割を果たす必要があったのではないか。それは、物事をマス(大衆)に伝える際の、バランス感覚だ。どちらか一方の言い分を一方的に、大衆へ向けて扇動的に伝えるのはジャーナリズムではない。例えば、慰安婦を表現した少女像の隣に、慰安婦に関してはさまざまな議論や言い分があるとする注意書き、またはそれを表現する「芸術作品」を設置するのも一つの手だったかもしれない。

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「表現の自由」を守る一方で、バランス感覚も必要だ(写真は記事と関係ありません)

 筆者は日本や米国、英国などのメディアで働いてきたが、こうしたバランス感覚というのは、ジャーナリストとして働き出したら最初に学ぶことである。津田氏は「ジャーナリストとしての自分のエゴだったのではないかとも感じています」と今回の騒動について述べているが、実際は、ジャーナリストという仕事を逸脱したことが原因だったといえないだろうか。

 津田氏は少し前まで、「メディア・アクティビスト」と名乗っていた。あえて日本語に訳すなら、「社会的・政治的メッセージを伝えるために、メディアを活用する活動家」という意味になる。これならまだ理解できた。

 いずれにしても、テロ予告や脅迫は絶対に許されるものではなく、そんな言動をした者については警察当局がきっちりと捜査してほしい。

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